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2008年11月12日 (水)

元パンクの小説家・町田康の中也読み/エラン・ヴィタールの詩人<3>

中原中也が死んだ1週間後、
安原喜弘は、中也からの手紙を受け取ります。
「発病の前日最後に綴られた由にて」
投函されなかったものを、死後に、母親フクが見つけ、
投函した中也の手紙でした。

 

10月5日付けの手紙でした。
安原を訪れた翌日です。
それは、こんなふうに書き出されています。

 

昨日は失禮しました。(序で乍ら失禮といへば却て失禮になるというふやうな場合、どんな語法があるのでせうか)
ですが安さんには、相手に観念運動を起させ過ぎるといふくせがあると思ひます 観念運動とは相手をジーッとみてゐて急に手を上げると相手もフト手を上げかけるといふあれです
(安原喜弘編著「中原中也の手紙」より)

 

きのうの話の延長という流れなのですが
それは、続きというよりも、
中也が語れなかった話を
ここで初めて話している、
という感じの書き出しです。

 

中也は、続けて、書きます

 

相手に観念運動を起させ過ぎるといふ一つのくせは、生活的以外にはあんまり物を考へなさ過ぎるといふことに該当すると思ひます (略)
安さんの生活の見方は、現在的で持続的でもあると思ひますが、つまり安さんの時々刻々の観察を統制しているものはあまりに現世的知識に限られてはゐますまいか。言葉が不十分だと思ひますが、エラン・ヴィタールに乏しいです。

 

「白痴群」廃刊後、孤立を深める中也を
献身的にサポートした安原喜弘。
中也の第一詩集「山羊の歌」の刊行は、
安原なくしては成功しなかったといわれるほどに
骨身を削って中也を助けました。

 

中也は、その安原の寡黙さに苛立ち、
もっと喋ってくれよ、と思いつつも、
その寡黙さ故に安らぐところもあったらしく、
たいへん有り難い友だちと考えていたようです。

 

その安原を、「相手に観念運動を起させ過ぎる」と指摘し、
そういう人は「生活的以外」のことを考えない、
つまり、生活のことばかりを考えている、そして、
ついには、「エラン・ヴィタールに乏しい」と評しました。

その言葉が届けられた時、
詩人はこの世に存在しませんでした。

 

町田康は、
「すでに命が尽きかけていたのに、主張は相変わらずだったわけです。」
と、20歳の詩人が説いた「エラン・ヴィタール」が
死を間近にした詩人によっても
(といっても、中也が死を意識していたことを意味してはいません)
主張されていることに目を向けました。

 

エラン・ヴィタール!

 

今や懐かしく、
忘れかけていた言葉、
この古びた言葉が
中也もろともに、
よみがえります。

 

新たな命を吹き込んだ
町田康という詩人の眼差しにも、乾杯です。

 


NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第4回 詩人という人生」
10月28日22時25分~22時50分放送。

 

 

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