タイトル中に「夏」がある詩について<6>
タイトルに「夏」の字がある作品を
「未発表詩篇」から、
ざーっと見ています。
今回は、5篇を載せます。
「草稿詩篇」(1925年―1928年)から「夏の夜」1篇、
その他は、「ノート小年時」(1928年―1930年)から4篇です。
*
夏の夜
一
暗い空に鉄橋が架かつて、
男や女がその上を通る。
その一人々々が夫々(それぞれ)の生計(なりわい)の形をみせて、
みんな黙って頷いて歩るく。
吊られてゐる赤や緑の薄汚いラムプは、
空いつぱいの鈍い風があたる。
それは心もなげに燈つてゐるのだが、
燃え尽した愛情のやうに美くしい。
泣きかゝかる幼児を抱いた母親の胸は、
掻乱(かきみだ)されてはゐるのだが、
「この子は自分が育てる子だ」とは知ってゐるやうに、
その胸やその知つてゐることや、夏の夜の人通りに似て、
はるか遥かの暗い空の中、星の運行そのまゝなのだが、
それが私の憎しみやまた愛情にかゝはるのだ……。
二
私の心は腐つた薔薇(ばら)のやうで、
夏の夜の靄(もや)では淋しがって啜(すすりな)く、
若い士官の母指(おやゆび)の腹や、
四十女の腓腸筋(ひちようきん)を慕ふ。
それにもまして好ましいのは、
オルガンのある煉瓦の館(やかた)。
蔦蔓(つたかづら)が黝々(くろぐろ)と匐ひのぼつてゐる、
埃りがうつすり掛かつてゐる。
その時広場は汐(な)ぎ亙(わた)つてゐるし、
お濠(ほりの水はさゞ波たてゝる。
どんな馬鹿者だつてこの時は殉教者の顔付をしてゐる。
私の心はまづ人間の生活のことについて燃えるのだが、
そして私自身の仕事については一生懸命練磨するのだが、
結局私は薔薇色の蜘蛛だ、夏の夕方は紫に息づいてゐる。
*
夏は青い空に……
夏は青い空に、白い雲を浮ばせ、
わが嘆きをうたふ。
わが知らぬ、とほきとほきとほき深みにて
青空は、白い雲を呼ぶ。
わが嘆きわが悲しみよ、かうべを昴げよ。
——記憶も、去るにあらずや……
湧き起こる歓喜のためには
人の情けも、小さきものとみゆるにあらずや
ああ、神様、これがすべてでございます。
尽くすなく尽くさるるなく、
心のままにうたへる心こそ
これがすべてでございます!
空のもと林の中に、たゆけくも
仰ざまに眼をつむり、
白き雲、汝が胸の上を流れもゆけば、
はてもなき平和の、汝がものとなるにあらずや。
*
夏の海
輝(かがや)く浪の美しさ
空は静かに慈しむ、
耀く浪の美しさ。
人なき海の夏の昼。
心の喘(あえ)ぎしづめとや
浪はやさしく打寄する、
古き悲しみ洗へとや
浪は金色、打寄する。
そは和やかに穏やかに
昔に聴きし声なるか、
あまりに近く響くなる
この物云はぬ風景は、
見守りつつは死にゆきし
父の眼(まなこ)とおもはるる
忘れゐたりしその眼
今しは見出で、なつかしき。
耀く浪の美しさ
空は静かに慈しむ、
耀く浪の美しさ。
人なき海の夏の昼。
(一九二九・七・一〇)
*
夏
血を吐くやうな 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦うさ、たゆけさ
空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る
血を吐くやうなせつなさに。
嵐のやうな心の歴史は
終焉つてしまつたもののやうに
そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののやうに
燃ゆる日の彼方(かなた)に眠る。
私は残る、亡骸(なきがら)として、
血を吐くやうなせつなさかなしさ。
(一九二九・八・二〇)
*
夏と私
真ッ白い嘆かひのうちに、
海を見たり。鴎(かもめ)を見たり。
高きより、風のただ中に、
思ひ出の破片の翻転するをみたり。
夏としなれば、高山に、
真ッ白い嘆きを見たり。
燃ゆる山路を、登りゆきて
頂上の風に吹かれたり。
風に吹かれつ、わが来し方に
茫然としぬ、………涙しぬ。
はてしなき、そが心
母にも、……もとより友にも明さざりき。
しかすがにのぞみのみにて、
拱(こまぬ)きて、そがのぞみに圧倒さるる。
わが身を見たり、夏としなれば、
そのやうなわが身を見たり。
(一九三〇・六・一四)
(角川文庫ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
(この稿つづく)
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