春/幸せおバカ
「六月の雨」「雨の日」と
雨の詩を続けて配した後で
10番目「春」
11番目「春の日の歌」と、
こんどは、春が連続して配置されました。
「春」は、
昭和4年(1929)の「生活者」9月号に
発表されています。
制作は、特定されていませんが、
初期のものらしい。
悲しみの詩人にも
こんなひとときがあったのだ、と
ほっとする思いで読める作品です。
第3連
私は呆気(ほうけ)てしまふ、バカになつてしまふ
は、自己への諧謔と読めなくはありませんが、
ここは、
幸福な時間を読むだけでよしとします。
瓦屋根(かわらやね)ですら、今朝は、不平がないのです。
第4連の猫は
猫であると同時に
詩人の姿が重なっています。
鈴をころばしている
ころばして、それを見ている。
遊んでいて
遊んでいることを見ている詩人がいます。
ころがす、ではなく、ころばす、としていますが
この差異にはこだわらないほうがよいでしょう
*
春
春は土と草とに新しい汗をかゝせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空に隲(あが)る。
瓦屋根今朝不平がない、
長い校舎から合唱は空にあがる。
あゝ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸|摶(う)つた希望は今日を、
厳(いか)めしい紺青(こあを)となつて空から私に降りかゝる。
そして私は呆気(ほうけ)てしまふ、バカになつてしまふ
——薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?
薮かげの小川か銀か小波か?
大きい猫が頸ふりむけてぶきつちよに
一つの鈴をころばしてゐる、
一つの鈴を、ころばして見てゐる。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
*原文のルビは、( )内に表記しました。
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