タイトル中に「夏」がある詩について<9>
さてさて、ようやく
「在りし日の歌」の中の「夏の夜」へ
戻って来ました。
ここで、もう一度、
作品を読みますと、
何か、変わったでしょうか。
難解であることは変わりませんが、
ポロリと
何かが見えたような気になりませんか?
一つの一貫した物語を組み立てようとすると
迷路に入り込むみたいだから、
大まかに、
疲れた僕の胸を
桜色の女が
通り抜けていった!
そのことで、
色々なことを思い出させられ
あれやこれや昔のことが蘇えってくる
ああ、暑い夜だこと!
と、これぐらいの理解に
止めておくことにしたほうがよい、
何よりも
第1連の詩句、
あゝ 疲れた胸の裡(うち)を
桜色の 女が通る
女が通る。
を、口ずさんでみるだけで、
この詩のほとんどを
味わったことになる!
と、考えたほうがよい。
この詩が、ダダであるとか
新感覚派っぽいとか
あるいは、
フランス象徴詩に影響されているとか……
そんなことは
二の次でよいのです。
味わおう! 味わおう!
口ずさもう! 口ずさもう!
桜色の 女が通る! のです。
桜色は、おそらく、肌の色……。
女体の肌の色……。
着物の色じゃない。
こんな、想像が広がっても来ます。
*
夏の夜
あゝ 疲れた胸の裡(うち)を
桜色の 女が通る
女が通る。
夏の夜の水田(すいでん)の滓(おり)、
怨恨は気が遐(とほ)くなる
——盆地を繞(めぐ)る山は巡るか?
裸足(らそく)はやさしく 砂は底だ、
開いた瞳は おいてきぼりだ、
霧の夜空は 高くて黒い。
霧の夜空は高くて黒い、
親の慈愛はどうしやうもない、
——疲れた胸の裡を 花瓣(くわべん)が通る。
疲れた胸の裡を 花瓣が通る
ときどき銅鑼(ごんぐ)が著物に触れて。
靄(もや)はきれいだけれども、暑い!
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
*原文のルビは、( )内に表記しました。
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