タイトル中に「夏」がある詩について<4>
「山羊の歌」「在りし日の歌」の2詩集に載せていない作品で
雑誌とか詩誌とか新聞とかに公表したものは
「生前発表詩篇」と分類されますが
その中に、「夏」の字がタイトルにある詩は
以下の5篇です。
*
夏と私
真ッ白い嘆かひのうちに、
海を見たり。鴎(かもめ)を見たり。
高きより、風のただ中に、
思ひ出の破片の翻転するをみたり。
夏としなれば、高山に、
真ッ白い嘆きを見たり。
燃ゆる山路を、登りゆきて
頂上の風に吹かれたり。
風に吹かれつ、わが来し方に
茫然としぬ、………涙しぬ。
はてしなき、そが心
母にも、……もとより友にも明さざりき。
しかすがにのぞみのみにて、
拱(こまぬ)きて、そがのぞみに圧倒さるる。
わが身を見たり、夏としなれば、
そのやうなわが身を見たり。
*
夏の明方(あけがた)年長妓(としま)が歌つた
――小竹の女主人(ばばあ)に捧ぐ
うたひ歩いた揚句の果は
空が白むだ、夏の暁(あけ)だよ
随分馬鹿にしてるわねえ
一切合切(いつさいがつさい)キリガミ細工
銹(さ)び付いたやうなところをみると
随分鉄分には富んでるとみえる
林にしたつて森にしたつて
みんな怖(お)づ怖づしがみついてる
夜露が下りてゐるとこなんぞ
だつてま、しほらしいぢやあないの
棄(す)てられた紙や板切れだつて
あんなに神妙、地面にへたばり
植えられたばかりの苗だつて
ずいぶんつましく風にゆらぐ
まるでこつちを見向きもしないで
あんまりいぢらしい小娘みたい
あれだつて都に連れて帰つて
みがきをかければなんとかならうに
左程々々(さうさう)こつちもかまつちやられない
――随分馬鹿にしてるわねえ
うたひ歩いた揚句の果は
空が白むで、夏の暁(あけ)だと
まるでキリガミ細工ぢやないか
昼間(ひるま)は毎日あんなに暑いに
まるでぺちやんこぢやあないか
*
夏
僕は卓子(テーブル)の上に、
ペンとインキと原稿紙のほかなんにも載せないで、
毎日々々、いつまでもジツとしてゐた。
いや、そのほかにマッチと煙草と、
吸取紙くらゐは載つかつてゐた。
いや、時とするとビールを持つて来て、
飲んでゐることもあつた。
戸外(そと)では蝉がミンミン鳴いた。
風は岩にあたつて、ひんやりしたのがよく吹込んだ。
思ひなく、日なく月なく時は過ぎ、
とある朝、僕は死んでゐた。
卓子(テーブル)に載つかつてゐたわづかの品は、
やがて女中によつて瞬く間に片附けられた。
――さつぱりとした。さつぱりとした。
*
初夏の夜に
オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か――
死んだ子供等は、彼〈あ〉の世の磧(かわら)から、此の世の僕等を看守(みまも)つてるんだ。
彼の世の磧は何時でも初夏の夜、どうしても僕はさう想へるんだ。
行かうとしたつて、行かれはしないが、あんまり遠くでもなささうぢやないか。
窓の彼方(かなた)の、笹藪の此方(こちら)の、月のない初夏の宵の、空間……其処(そこ)に、
死児等は茫然、佇(たたず)み僕等を見てるが、何にも咎(とが)めはしない。
罪のない奴等が、咎めもせぬから、こつちは尚更、辛いこつた。
いつそほんとは、奴等に棒を与へ、なぐつて貰ひたいくらゐのもんだ。
それにしてもだ、奴等の中にも、十歳もゐれば、三歳もゐる。
奴等の間にも、競走心が、あるかどうか僕は全然知らぬが、
あるとしたらだ、何(いず)れにしてもが、やさしい奴等のことではあつても、
三歳の奴等は、十歳の奴等より、たしかに可哀想と僕は思ふ。
なにさま暗い、あの世の磧の、ことであるから小さい奴等は、
大きい奴等の、腕の下をば、すりぬけてどうにか、遊ぶとは想ふけれど、
それにしてもが、三歳の奴等は、十歳の奴等より、可哀想だ……
――オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か……
(一九三七・五・一四)
*
夏日静閑
暑い日が毎日つづいた。
隣りのお嫁入前のお嬢さんの、
ピアノは毎日聞こえてゐた。
友達はみんな避暑地に出掛け、
僕だけが町に残つてゐた。
撒水車が陽に輝いて通るほか、
日中は人通りさへ殆(ほと)んど絶えた。
たまに通る自動車の中には
用務ありげな白服の紳士が乗つてゐた。
みんな僕とは関係がない。
偶々(たまたま)買物に這入(はい)つた店でも
怪訝な顔をされるのだつた。
こんな暑さに、おまへはまた
何条買ひに来たものだ?
店々の暖簾(のれん)やビラが、
あるとしもない風に揺れ、
写真屋のショウヰンドーには
いつもながらの女の写真(かほ)。
(一九三七、八、五)
(角川文庫ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
(この稿つづく)
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