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2008年11月 1日 (土)

元パンクの小説家・町田康の中也読み/信念の詩人

200807062_002

 

 

 

「中原中也 口惜しき人」最終回での
町田康の発言は、
聞き流すと、ありきたりのようですが、
じっくり聞き耳を立てると、
そうだ、そうだ、と合点し、
合点どころか脱帽させられるものが
幾つかありました。

 

その一つ。
中原中也が、早い時期に自分の生き方を決め、
その生き方に沿って、その通りに生きた、
その結果、あのような詩が生れた、
と話すくだり。
最終回の番組の最終部で語られる部分です。

 

こう語ります。

 

中也という人は、人生のかなり早い時期に、かなり厳密に、「自分はこういう人間である」と決めてしまったような気がするんです。そして、こういう人間であると決めたことに、ものすごく忠実に生きた。(略)

 

それは、たいへんな困難とともにあった。なぜなら、自分はこうである、というのはなかなか決められないことであって、普通は周囲の人間とか両親とか環境とかによって決められる。もっと言えば、宇宙とか神様とかによって決められることかもしれない。

 

しかし、中也の場合は自分で決めて、そのとおりに生きた。あるいは生きようとした。これはすごい信念ですよ。

 

その結果、あのような詩が生れた。(略)

 

と、以上のように、
中也が、人生の早い時期に
自分の生き方を自分一人で決め、
ふつうなら、
周囲、両親、環境……
宇宙、神様……が決めるところなのに、
ときたから、
運命という言葉が
飛び出すのかと思ったところを、
そうは言わず、

 

自分で自分の生き方を決めて、
その通りに生き、または、生きようとした
それは、信念によるものだ

 

信念! と断じたのです。
すごい信念ですよ、というのです。

 

信念の詩人、中原中也の誕生! 
です。

 

こんなこと、これまでに、誰も、
言わなかったんじゃないでしょうか。

 

いまだに、無視し、黙殺し、排斥し続ける
というか、
許容できない、包容できない現代詩壇はおろか
中也党といわれる理解者たちも
こんな言い方はしなかった
のではないでしょうか。

 

曇りのない眼差し
既成の評論に左右されない解釈
詩壇文壇の色眼鏡を通さない素直な読み
若い世代の中也像
……
大げさですが
そんな感じの捉え方が生れているようです。

 

あらためて
元パンクの小説家・町田康に
心から、拍手を送ります。

 

パチパチパチパチパチパチパチ。

 

NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第4回 詩人という人生」
10月28日22時25分~22時50分放送。

 

中也の作品で、もっともポピュラーと思われる詩をここに載せておきます。

 

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

 

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

 

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

 

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

 

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」より)

 

 

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