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2008年12月18日 (木)

長男文也の死をめぐって/草稿詩篇1937年

「草稿詩篇」(1937年)は、
中也最晩年の作品6篇が
まとめられています。

 

「春と恋人」
「少女と雨」
「夏と悲運」
「(嘗てはラムプを、とぼしてゐたものなんです)」
「秋の夜に、湯に浸り」
「四行詩」

 

の、6篇ですが、
「夏と悲運」は、
すでに、「タイトルに夏のある詩」で読みました。
いずれも、
中也の「最終詩」です。
「四行詩」は、
中也「最期の詩」です。

 

以下に作品を載せます。
「(嘗てはラムプを、とぼしてゐたものなんです)」
「四行詩」の2作品を除いて、
文也の死の影が落ちているような、
そうとも断定できないような、
喪失感とか、悲運とか……
絶望とか、諦念とか……が、
感じられます。

 

 *
 春と恋人そこ
美しい扉の親しさに
私が室(へや)で遊んでゐる時、
私にかまはず実つてた
新しい桃があつたのだ……

 

街の中から見える丘、
丘に建つてたオベリスク、
春には私に桂水くれた
丘に建つてたオベリスク……

 

蜆(しじみ)や鰯(いわし)を商ふ路次の
びしょ濡れの土が歌つてゐる時、
かの女は何処(どこ)かで笑つてゐたのだ

 

港の春の朝の空で
私がかの女の肩を揺つたら、
真鍮(しんちゅう)の、盥(たらひ)のやうであつたのだ……

 

以来私は木綿の夜曲?
はでな処(とこ)には行きたかない……

 

*オベリスク 古代エジプトで神殿の左右に建てた、四角い尖った石柱。
*桂水 「桂」は、香木の名。匂いの良い水の意か。

 

 *
 少女と雨

 

少女がいま校庭の隅に佇んだのは
其処(そこ)は花畑があつて菖蒲(しょうぶ)の花が咲いてるからです

 

菖蒲の花は雨に打たれて
音楽室から来るオルガンの 音を聞いてはゐませんでした

 

しとしとと雨はあとからあとから降つて
花も葉も畑の土ももう諦めきつてゐます

 

その有様をジッと見てると
なんとも不思議な気がして来ます

 

山も校舎も空の下(もと)に
やがてしづかな回転をはじめ

 

花畑を除く一切のものは
みんなとつくに終つてしまつた 夢のやうな気がしてきます

 

 *
 夏と悲運

 

とど、俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられない。

 

思へば小学校の頃からだ。
例へば夏休みも近づかうといふ暑い日に、
唱歌教室で先生が、オルガン弾いてアーエーイー、
すると俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられなかつた。
格別、先生の口唇が、鼻腔が可笑しいといふのではない、
起立して、先生の後から歌ふ生徒等が、可笑しいといふのでもない、
それどころか俺は大体、此の世に笑ふべきものが存在(ある)とは思つてもゐなかつた。
それなのに、とど、笑ひ出さずにやゐられない、
すると先生は、俺を廊下に出して立たせるのだ。
俺は風のよく通る廊下で、淋しい思ひをしたもんだ。
俺としてからが、どう解釈のしやうもなかつた。
別に邪魔になる程に、大声で笑つたわけでもなかつたし、
然(しか)し先生がカンカンになつてゐることも事実だつたし、
先生自身何をそんなに怒るのか知つてゐぬことも事実だつたし、
俺としたつて意地やふざけで笑つたわけではなかつたのだ。
俺は廊下に立たされて、何がなし、「運命だ」と思ふのだつた。

 

大人となつた今日でさへ、さうした悲運はやみはせぬ。
夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。
やがて俺は人生が、すつかり自然と游離してゐるやうに感じだす。
すると俺としたことが、もう何もする気も起らない。
格別俺は人生が、どうのかうのと云ふのではない。
理想派でも虚無派でもあるわけではとんとない。
孤高を以て任じてゐるなぞといふのでは尚更(なおさら)ない。
しかし俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。

 

どうしてそれがさうなのか、ほんとの話が、俺自身にも分らない。
しかしそれが結果する悲運ときたらだ、いやといふほど味はつてゐる。
                      (一九三七・七)

 

*とど とどのつまり。結局。

 

 *
 「(嘗てはラムプを、とぼしてゐたものなんです)」

 

嘗(かつ)てはラムプを、とぼしてゐたものなんです
今もう電燈(でんき)の、ない所は殆どない。
電燈もないやうな、しづかな村に、
旅をしたいと、僕は思ふけれど、
卻々(なかなか)それも、六ヶ敷(むつかし)いことなんです。

 

吁(ああ)、科学……
こいつが俺には、どうも気に食はぬ。
ひどく愚鈍な奴等までもが、
科学ときけばにつこりするが、
奴等にや精神(こころ)の、何事も分らぬから、
科学とさへ聞きや、につこりするのだ。

 

汽車が速いのはよろしい、許す!
汽船が速いのはよろしい、許す!
飛行機が速いのはよろしい、許す!
電信、電話、許す!
其(そ)の他はもう、我慢がならぬ。
知識はすべて、悪魔であるぞ。
やんがて貴様等にも、そのことが分る。

 

エエイッ、うるさいではないか電車自働車と、
ガタガタガタガタ、朝から晩まで。
いつそ音のせぬのを発明せい、
音はどうも、やりきれぬぞ。

 

エエイッ、音のないのを発明せい、
音のするのはみな叩き潰(つぶ)せい!

 

 *
 秋の夜に、湯に浸り

 

秋の夜に、独りで湯に這入(はい)ることは、
淋しいぢやないか。

 

秋の夜に、人と湯に這入ることも亦(また)、
淋しいぢやないか。

 

話の駒が合つたりすれば、
その時は楽しくもあらう

 

然しそれといふも、何か大事なことを
わきへ置いといてのことのやうには思はれないか?

 

ーー秋の夜に湯に這入るには……
独りですべきか、人とすべきか?
所詮は何も、
決ることではあるまいぞ。

 

さればいつそ、潜つて死にやれ!
それとも汝、熱中事を持て!

 

 *
 四行詩

 

おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発(かんぱつ)する都会の夜々の燈火を後(あと)に、
おまへはもう、郊外の道を辿(たど)るがよい。
そして心の呟(つぶや)きを、ゆつくりと聴くがよい。

 

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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