長男文也の死をめぐって/暗い公園
文也の死の11月10日から
7日後の日付の記された作品に、
「暗い公園」という詩があります。
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」と同じく、
「在りし日の歌」にも選ばれず、
雑誌などにも発表されなかった作品です。
これらは、
「草稿詩篇(1933年~1936年)」と
分類されている中にあり、
この中では、この2作品だけが、
文也死後の作品と推定されているのです。
文也死後に、
中原中也が書き残した未発表詩篇は、
この他に、
「療養日誌・千葉寺雑記」(1937年)の中の詩篇と、
「草稿詩篇(1937年)」があります。
この中に、
文也追悼の詩があるとは断定できませんが、
ないとも断定できません。
そもそも、
中也のこの頃の作品は特に、
死をあつかったものがほとんどといってよく、
死と生の間の距離がなくなっていたりする作品さえありますから、
それが、文也の死と無関係かどうか、
容易には断定できません。
「暗い公園」は、
「ハタハタ」というオノマトペ(擬音語)にさしかかって、
ただちに、「曇天」を思い出させる作品です。
最終行の、
けれど、あゝ、何か、何か……変つたと思つてゐる。
ここに文也の死をあえて見る必要はありませんが、
見ることも可能です。
*
暗い公園
雨を含んだ暗い空の中に
大きいポプラは聳(そそ)り立ち、
その天頂(てつぺん)は殆んど空に消え入つてゐた。
六月の宵、風暖く、
公園の中に人気はなかつた。
私はその日、なほ少年であつた。
ポプラは暗い空に聳り立ち、
その黒々と見える葉は風にハタハタと鳴つてゐた。
仰ぐにつけても、私の胸に、希望は鳴つた。
今宵も私は故郷(ふるさと)の、その樹の下に立つてゐる。
其(そ)の後十年、その樹にも私にも、
お話する程の変りはない。
けれど、あゝ、何か、何か……変つたと思つてゐる。
(1936.11.17)
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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