汚れつちまつた悲しみに……再2
「汚れつちまつた悲しみに……」は、
「盲目の秋」
「わが喫煙」
「妹よ」
「更くる夜」
「つみびとの歌」
「雪の宵」
「生ひたちの歌」
「時こそ今は……」
などとともに、昭和5年(1930)1月から5月の間に
制作されたことがわかっています。
中也が中心になって発行されていた
文学同人誌「白痴群」は5号を出しましたが、
その打ち上げの同人会が
この年の1月に行われ、
その席での大岡昇平と中也の争いがもとで、
廃刊へと追い込まれてゆきます。
ようやく第6号が出せましたが、
原稿の集まりは、当然ながら、芳しくなく、
中也の作品が、
大半を占めました。
「白痴群」6号には、
「汚れつちまつた悲しみに……」をはじめ、
前記の作品のほかにも幾つかの作品が掲載され、
合計11作品が中也の詩でした。
それが一挙に掲載されたのです。
中也としては、ここは、がんばりどころでした。
東京に出てきた年である
1925年(大正14年)の11月には、
パートナーであった長谷川泰子が、
友人の小林秀雄の元へと去り、
大都会に一人投げ出される、
という孤立を強いられた詩人でした。
その孤立から立ち直る契機になった
文学同人誌の編集・発行……。
何よりも、自作の詩を自由に発表できる場をもった詩人は、
泰子を失った悲しみ・苦悩をまぎらわし、癒し、
それを題材にした詩を歌うこともあり、
それなりに充実した日々を送ることができていたのです。
その同人誌がポシャッてしまったのです。
わずか1年の短命でした。
詩人は、再び、大東京に
一人投げ出されることになりました。
(この稿つづく)
*
汚れつちまつた悲しみに……
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)
« 汚れつちまつた悲しみに……再1 | トップページ | 汚れつちまつた悲しみに……再3 »
「013中原中也/「山羊の歌」の世界/「汚れっちまった悲しみに……」の周辺」カテゴリの記事
- 泰子が明かす奇怪な三角関係/「時こそ今は……」その6(2014.05.20)
- 「水辺」の残影/「時こそ今は……」その5(2014.05.19)
- ヒッピーの泰子/「時こそ今は……」その4(2014.05.15)
- 目の前に髪毛がなよぶ/「時こそ今は……」その3(2014.05.14)
- 都会の自然/「時こそ今は……」その2(2014.05.12)
コメント