京都回想/ゆきてかへらぬ
詩集「在りし日の歌」の
「永訣の秋」に戻ります。
「永訣の秋」16篇中に、
中也は、
長男文也の死を悼んだ作品を
意識して、集めたようです。
しかし、それらは、
文也の死を固有に歌ったものとは限らず
文也の死に、必ずしも、結びつけなくても読める
普遍性をもった作品でもありました。
その上、
「永訣の秋」は
もちろん、
「死一色」では、
ありません。
冒頭の4作、
「ゆきてかへらぬ」(四季)
「一つのメルヘン」(文芸汎論)
「幻影」(文学界)
「あばずれ女の亭主が歌った」(歴程)
は、1937年11月の文芸誌に発表されている、
という共通点があり、
一括りにみることができますが、
これらは、「死」を歌っているとはかぎりませんし、
少なくとも、直接的には歌いませんし、
内容もそれぞれです。
各誌に見合った作品を発表したことがわかり、
バラエティーに富んでいます。
「ゆきてかへらぬ」は、
「往きて帰らぬ」で、往き去って帰らない。
「京都」とあるのは、
「京都にて」ではなくて、
「京都で過ごした青春」
ほどに受け取ったほうがよいでしょう。
山口中学を落第し、
京都の立命館中学へ転入した「詩人の卵」は、
親元を離れたことで、
自由を謳歌するように、
京都で暮らします。
詩集「ダダイスト新吉の詩」にふれ、
長谷川泰子と出会い、
富永太郎を知った京都です。
中也は、
16歳から約3年間、京都にいました。
その京都を、
約15年後に、30歳の詩人が
振り返るのです。
*
ゆきてかへらぬ
――京都――
僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒(そそ)ぎ、風は花々揺(ゆす)つてゐた。
木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々(あかあか)と、風車を付けた乳母車(うばぐるま)、いつも街上に停(とま)つてゐた。
棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者(みより)なく、風信機(かざみ)の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。
さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。
煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。
さてわが親しき所有品(もちもの)は、タオル一本。枕は持つてゐたとはいへ、布団(ふとん)ときたらば影だになく、歯刷子(はぶらし)くらゐは持つてもゐたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。
女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会ひに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。
名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。
* *
*
林の中には、世にも不思議な公園があつて、不気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩してゐて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情してゐた。
さてその空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いてゐた。
« 長男文也の死をめぐって/中原中也の死 | トップページ | 薄命そうなピエロ/幻影 »
「021はじめての中原中也/在りし日の歌」カテゴリの記事
- 降りかかる希望/春・再読(2009.01.04)
- 大晦日の囚人/除夜の鐘(2008.12.29)
- 詩人の孤独/或る男の肖像(2008.12.26)
- もう一度会いたい女性/米子(2008.12.25)
- 止まった時間/村の時計(2008.12.24)
コメント