長男文也の死をめぐって<9>文也の一生3
長男文也の死の直後、
それを認めることのできなかった中也は
文也の亡骸(なきがら)から離れず、
納棺しようとする家人を押しとどめ、
荼毘(だび)にふされることを拒んだほどでした。
それから数か月後、ようやく「文也の一生」を書いたのです。
せめて、記録に残すことで、
文也とともに在り続けようとしたのでしょうか。
あるいは、悲しみの心を落ち着けようとして、
記録しようとしたのでしょうか。
文也の成長の記録や、
遊びに連れて行った日のことなどを、
一つひとつ日記に書き連ねることで、
普段の、変わりない、詩人であることを
維持する必要があったのでしょう。
日記は、冷静に、事実を振り返ります。
そのように、読み取れます。
書き溜めた日記のページをめくりながらでしょうか、
思いつくままのすべてを、
記録にとどめることによって、
死を確認し、
そうすることで、
文也の在りし日を永遠に刻み、
死を受け入れようとしたのかもしれません。
そうした日記が、
昭和9年(1934)8月 春よりの孝子の眼病の大体癒つたによつて帰省。
と書き出されます。
*
日記(1936年)文也の一生
昭和9年(1934)8月 春よりの孝子の眼病の大体癒つたによつて帰省。9月末小生一人上京。文也9月中に生れる予定なりしかば、待つてゐたりしも生れぬので小生一人上京。
10月18日生れたりとの電報をうく。八白先勝みづのえといふ日なりき。その午後1時山口市後河原田村病院(院長田村旨達氏の手によりて)にて生る。生れてより全国天気一か月余もつゞく。
昭和9年12月10日小生帰省。午後日があたつてゐた。客間の東の6畳にて孝子に負はれたる文也に初対面。小生をみて泣く。
それより祖母(中原コマ)を山口市新道の新道病院に思郎に伴はれて面会にゆく。祖母ヘルニヤ手術後にて衰弱甚だし。
(12月9日午後詩集山羊の歌出来。それを発送して午後8時頃の下関行にて東京に立つ。小澤、高森、安原、伊藤近三見送る。駅にて長谷川玖一と偶然一緒になる。玖一を送りに藤堂高宣、佐々木秀光来てゐる。)手術後長くはないとの医者の言にもかゝかはらず祖母2月3日まで生存。その間小生はランボオの詩を訳す。
1月の半ば頃高森文夫上京の途寄る。たしか3泊す。二人で玉をつく。高森滞在中は坊やと孝子オ部屋の次の次の8畳の間に寝る。
祖母退院の日は好晴、小生坊やを抱いて祖母のフトンの足の方に立つてゐたり、東の8畳の間。
9月ギフの女を傭ふ。12月23日夕暇をとる。
坊や上京四五日にして匍ひはじむ。「ウマウマ」は山口にゐる頃既に云ふ。9月10日頃障子をもつて起つ。9月20日頃立つて一二歩歩く。間もなく歩きだし、間もなく階段を登る。降りることもぢきに覚える。
拾郎早大入試のため3月10日頃上京。間もなく宇太郎君上京、同じく早大入試のため。
坊や此の頃誰を呼ぶにも「アウチヤン」なり。
拾郎合格。宇太郎君山高合格。
8月の10日頃階段中程より顚落。そのずつと前エンガハより庭土の上に顚落。
7月10日拾郎帰省の夜は坊やと孝子と拾郎と小生4人にて谷町交番より円タクにて新宿にゆく。ウチハや風鈴を買ふ。新宿一丁目にて拾郎に別れ、同所にて坊やと孝子江戸川バスに乗り帰る。小生一人青山を訪ねたりしも不在。すぐに帰る。坊やねたばかりの所なりし。
春暖き日坊やと二人で小澤を番衆会館アパートに訪ね、金魚を買ってやる。
同じ頃動物園にゆき、入園した時森にとんできた烏を坊や「ニヤーニヤー」と呼ぶ。大きい象はなんとも分からぬらしく子供の象をみて「ニヤーニヤー」といふ。豹をみても鶴をみても「ニヤーニヤー」なり。
やはりその頃昭和館にて猛獣狩をみす。一心にみる。
6月頃四谷キネマに夕より敦夫君と坊やをつれてゆく。ねむさうなればおせんべいをたべさせながらみる。
7月敦夫君他へ下宿す。
8月頃靴を買ひに坊やと二人で新宿を歩く。春頃親子3人にて夜店をみしこともありき。
8月初め神楽坂に3人にてゆく。
7月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。
* 「中也を読む 詩と鑑賞」(中村稔、青土社)からの孫引きです。
* 漢数字を洋数字にし、改行を入れるなど、手を入れてあります。
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