言葉なき歌/詩論の詩
「在りし日の歌」の「永訣の秋」を読んでいると
この章の作品の選択や配列や編集に、
詩人が込めた様々な思いや
豊富な試み、実験、たくらみ……
様々な意匠=デザインに出会うことになり、
圧倒されます。
ここには、
終わりであることによって、
始まりを意味しようとする
編集上の意思のようなものが
くっきり現れます。
文也の死を悼む詩を中心に
その周りに、
女たちへの惜別の歌
都会の風景、田舎の風景を歌った詩
詩人の肖像や履歴を歌った詩
詩論や思想を盛り込んだ歌
これらのどれにも属さない「一つのメルヘン」……
中也詩の多様な流れが
ここにきて、
一所に集まり、
それぞれが、静かに声を挙げている。
そんなおもむきがあります。
東京滞在13年の生活に別れを告げ、
詩人は、
生地・山口に下る決意を固めていました。
そこで一区切りつけるための詩集の刊行でした。
原稿を、いまや、「文学界」の編集に携わっていた
小林秀雄に託します。
「言葉なき歌」は、
詩人の表現論の基底に流れる
独自の詩論を述べたもので、
「名辞以前の世界」
「身一点に感じる」
「エラン・ヴィタール」など
詩が伝えようするもの——あれが、
遠いところにあり、
遠いところではあるけれど、
夕陽にけぶっていて、
フィトルの音のようにか弱く、
煙突のけむりのように、
あかねの空にたなびいて……
なかなか容易にはとらえられないもので
しかし、あせらずに、
じっと、ここで待っていなくてはならないものだ、と
詩人のスタンスを述べ、
詩論を展開したものです。
「いのちの声」の
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。
の系譜にある作品
ということができるでしょう。
*
言葉なき歌
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼(あを)く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡(あは)い
決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女(むすめ)の眼(め)のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい
それにしてもあれはとほいい彼方(かなた)で夕陽にけぶつてゐた
号笛(フイトル)の音(ね)のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない
さうすればそのうち喘(あへ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
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