止まった時間/村の時計
「四季」の昭和12年(1937年)3月号に載り、
昭和8年10月10日に制作されたことがわかっている
「村の時計」は
これが作られた、
なんらかの背景とか、状況とかを
探したって、意味のないことでしょう。
この村が、どこそこの村であるとか、
その村には、時計塔があるだの、ないだの、
そんな詮索をしたって、
無駄です。
大きな古びた時計がありました、
ひっきりなしに休む間もなく
その時計は動いていました、
というだけの事実を
ただ記録しているだけの詩であるかの
まるで叙景詩のようなこの詩のあじわいは、
時計は絶え間なく動いているのに、
止まってしまったかのような時間そのもの……
にあるのではないか。
どうして時間が止まった感じになるのか
わかりません。
文字板のペンキはつやがない
小さなひびがたくさんある
夕陽が当たっているけれどもおとなしい色
ぜいぜいと鳴る
これらが
静止した時間を
感じさせるのでしょうか
いかなる物語も
見当たりませんが、
数多の物語があった過去
過ぎ去りし日々を
思わせもします。
*
村の時計
村の大きな時計は、
ひねもす動いてゐた
その字板のペンキは
もう艶(つや)が消えてゐた
近寄つてみると、
小さなひびが沢山にあるのだつた
それで夕陽が当つてさへが、
おとなしい色をしてゐた
時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴つた
字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかつた
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
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