中原中也の同時代人/吉田秀和2
吉田秀和が、
中也とのなれそめを記している
「中原中也のこと」
(講談社文芸文庫「ソロモンの歌/一本の木」所収)から、
以下、引用を続けると、
二回目の日曜は、しかし、夕食ですよと呼ばれて、私が下の茶の間におりてゆくと、この規則正しい訪問者(中原は、人を訪ねるのを日課みたいにしてる男だったが、このころは日曜というと、阿部さんのところに、まるで学校にでも出るように、きちんとやってくるのだった)もすでに座っていて、いっしょに食事をした。
背が低く、角ばった顔。ことに顎が小さいのが目についた。色白の皮膚には、ニキビの跡の凸凹がたくさんあったが、そのくせ脂っこいどころか、妙にカサカサして艶がわるかった。ぎょろっとした目は黒くて、よく光った。
私はそれをみんな一目でみたわけではない。これは、その後の印象のいくつかを足したものだ。初対面では、むしろ、低いが優しい口のきき方と、私のいうことを、そのまま正直に、まっすぐうけとろうという態度が印象的だった。
(*改行を加えてあります。編者)
と、二人が、
2回目に会った時のことが書かれています。
このときは、起居している隣の部屋から声を聞いただけでなく、
中也と一緒に食事に呼ばれているのだから、
初めて顔を合わせて、言葉も交わしたのでしょう。
しかし、
中原が、その晩どんなことを話したか、それを具体的にいうことは、とても私の手にはおえない。
と、吉田は記します。
そう記す意味には、
さまざまなことが込められているようで、
推測する以外にありません。
ただ、ほかのところで、
私は、たしかに中原に会ったことがあるにはちがいないが、本当に彼を見、彼の言葉をきいていただろうか? こういう魂とその肉体については、小林秀雄のような天才だけが正確に思い出せ、大岡昇平のような無類の散文家だけが記録できるのである。私には、死んだ中原の歌う声しかきこえやしない。
と、書いているのには、大いに耳を傾けておきたいものです。
吉田のような、超一流の音楽評論家ではなく、
素朴な読者でしかない「われわれ」は、
小林秀雄のようにでもなく、
大岡昇平のようにでもなく、
詩人の歌う歌をきくことができればOKなのですが、
それが、なかなか、容易ではないのです。
学問しても
詩を読めるわけでもありませんし……。
このとき以来の二人の交流は、
次第に頻繁になり、
そして、
次第に疎遠になっていきはするものの、
中也が鎌倉で死去するまで、
続けられました。
中也の肉声を聞き、
談論し、酒を酌み交わしたことのある
数少ない同時代人の健在に
心おきない拍手!
そして、乾杯です。
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