詩人の孤独/或る男の肖像
「或る男の肖像」は、
はじめ、「或る夜の幻想」の一部でした。
「或る夜の幻想」は、
はじめは、6章仕立てで、
1 彼女の部屋
2 村の時計
3 彼女
4〜6 或る男の肖像
という構成でしたが、
中也は、
2を独立させ、4〜6も独立させ、
3個の作品としました。
したがって、
もととなった作品「或る夜の幻想」は
その1と3が残って、
これも独立した作品になったという経緯があります。
一つの作品が、
このような改竄(ざん)を受けたことを知るのは
「料理の裏側」を見るような驚きがあり、
創作の現場というもの、
詩人の現場での息づかいというもの、
創意と工夫と苦悩と悦楽と……
生誕の秘密と……
要するに
作品以前を垣間見ることができて
それなりに楽しいのですが、
それだけのことでもあります。
要するに、
そんなこと知っていても
知らなくてもOKです。
そんなことが、
素朴な読者のハンディであってはなりません。
「或る男の肖像」は、
詩人が、独立した作品としたのですから、
その作品を味わえばよい、
その歌を聴けばよい。
何かごそっと抜けたような感じとか
飛躍とか省略とか欠落とか……
もし、そのような感じがするのなら、
その飛躍とか省略とか欠落とかを味わえばよい
これらは、言い換えれば
ダイナミズムでもあります。
躍動感の源です。
何かしら、動的な詩になっている理由です。
1は、
ある洒落男、これは伊達男(ダテおとこ)と言えば分かりやすいか、の、
描写。
すでに死んでいる。
わずか5行で、ありありと、
その洒落振り、伊達振りが表される。
しかし、歳をとってもの洒落振りゆえに、
その男、あわれである。
2は、
その男の「在りし日」。
髪を撫でつけ、さっそうと遊びに出て行く男の
すーすーと風が吹き抜けていくような暮らし。
3は、
男の恋人が登場。
彼女は、「壁の中へ」去ってしまい、
だから、男は一人っきりで、
汚れの一つもない部屋の
真ん中にあるテーブルを拭いている。
この、立ち上ってくるような孤独。
きっと、ここに
詩人がいます。
*
或る男の肖像
1
洋行帰りのその洒落者(しやれもの)は、
齢(とし)をとつても髪に緑の油をつけてた。
夜毎喫茶店にあらはれて、
其処(そこ)の主人と話してゐる様(さま)はあはれげであつた。
死んだと聞いてはいつそうあはれであつた。
2
——幻滅は鋼(はがね)のいろ。
髪毛の艶(つや)と、ラムプの金との夕まぐれ
庭に向つて、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行つた。
剃りたての、頚条(うなじ)も手頸(てくび)も
どこもかしこもそはそはと、
寒かつた。
開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでゐた。
読書も、しむみりした恋も、
あたたかいお茶も黄昏(たそがれ)の空とともに
風とともにもう其処にはなかつた。
3
彼女は
壁の中へ這入(はひ)つてしまつた。
それで彼は独り、
部屋で卓子(テーブル)を拭いてゐた。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
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