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2008年12月 1日 (月)

汚れつちまつた悲しみに……再3

詩作品が、
ある特定の状況から生まれるものであるとすれば

長谷川泰子への失恋(小林秀雄との三角関係)、
同人誌の廃刊(同人との確執・離反)という
二つの事件は、大いに、
作品を生み出すきっかけ
になったことに違いありません。

「汚れつちまつた悲しみに……」は、
制作年月日の状況からいえば、
この二つの事件の影響下に歌われた、と、
考えるのがもっとも自然でしょう。

しかし、だからといって、
この詩を、
具体的な事件に結びつける決定的な証拠は、
ありません。

それどころか、
この詩が作られた時よりも、
ずーっと以前の詩人の経験を
元にしているのかも知れないのです。

この年23歳(4月29日誕生日)になる中原中也が、
それまで味わった悲しみの体験のすべてを
汚れつちまつた悲しみ、と、
歌ったのかも知れませんし、
もっと些細な、極く小さな出来事が
悲しみの元だったのかも知れません。

詩人は、ひょっとすると、
ある特定の経験をもとに、
この詩を歌ったのかも知れず、
その公算は大きいのですが、
それは、もはや、だれにもわからなくなってしまいました。

ここでは、
文学は学問じゃあないよ、と、
詩人が呼びかけているような気がしますから、
研究・考証や学問はしません。
文学もしないようにしておきますが……。

一つだけ。
汚れっちまった悲しみに……と
促音便の混じった詩句を、
冬の道を歩きながら口ずさんでいて、
「汚れ」は、どうも、
詩人のほうから、何事かを仕掛けて、
その結果、受けたもののように思えることを、
言っておくことにします。

どうも、他者から受けた
被害としての汚れではなくて、
だから、加害としての汚れが入っている、
とは言わないでおきますが、
自らすすんで何事かをした結果、
汚れてしまった、という
その悲しみが歌われているから、
その悲しみは深く透明だ、と
多くの読者が感じているのではないか、
と言っておきたいのです。

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

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