春の歌を拾う<5-2>春宵感懐
「春宵感懐」は、
58作を収めた「在りし日の歌」の
40番目にある作品です。
句読点を
入れられる、あらゆる場所に入れ、
七五調を保っています。
雨が、あがつて、風が吹く。
これは、
雨があがつて、風が吹く。
で、OKだったはずですが、
詩人は、なんらかの意図で
「文節」で区切りをつけたかったのでしょう。
端正な七五調に
したくなかったのかもしれません。
でも、これは
七五調でしょう。
流麗感が出ていますし、
全体がリズミカルですし、
第1連の
みなさん、という呼びかけが
スムーズに詩に溶け込んでいることを
サポートしています。
この第1連は
最終の第5連で繰り返されますから
この中の「みなさん」は
ボディーブローのように
利きます。
みなさん、
今夜は、
雨上がりの風が吹き
雲が流れて月を隠す
なまあったかーい日ですよー
なんて、
なぜ、呼びかけなきゃならないのでしょうか。
「在りし日の歌」一番の絶唱
と呼んで差し支えないであろう
「春日狂想」の最終章最終連にも
みなさん、の呼びかけはあります。
こちらは、一オクターブ高い声の感じで
ハイ、みなさん、と呼びかけるのですが
その「前哨戦」だからでしょうか
これより前に作られた「春宵感懐」では、
さりげなく、
詩句に溶け込んだ感じの
みなさん、です。
春宵は
生暖かい風が吹いて
溜息が出るは幻想が湧くは
でも、
そいつの正体は掴めないし、
だれもそいつを語ることもできない
だからこそ
いのち・命というものですが
だからといって、
そのことを示すこともできない
だから、
人間てのは、
ひとりひとりが孤独に
心で感じているものを
他人と顔を合わせれば
にっこり、愛想笑いの一つでもして
一生を過ごすのですねえ
そうですよねえ
それにしても
なまあったかい
夜ですねえ。
*
春宵感懐
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵(よひ)。
なまあつたかい、風が吹く。
なんだか、深い、溜息が、
なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴(つか)めない。
誰にも、それは、語れない。
誰にも、それは、語れない
ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
けれども、それは、示(あ)かせない……
かくて、人間、ひとりびとり、
こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
ことして、一生、過ぎるんですねえ
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあつたかい、風が吹く。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
« 春の歌を拾う<5-1>春宵感懐 | トップページ | 春の歌を拾う<6>わが半生 »
「0001はじめての中原中也」カテゴリの記事
- <再読>時こそ今は……/彼女の時の時(2011.06.13)
- <再読>生ひ立ちの歌/雪で綴るマイ・ヒストリー(2011.06.12)
- <再読>雪の宵/ひとり酒(2011.06.11)
- <再読>修羅街輓歌/あばよ!外面(そとづら)だけの君たち(2011.06.10)
- <再読> 秋/黄色い蝶の行方(2011.06.09)
コメント