春の歌を拾う<3-2> 春と赤ン坊
昭和10年(1935年)という年。
中原中也は、
精力的に各誌へ発表します。
前年には、
長男文也が誕生していますから
「お父さん振り」も
堂に入ったものになってきました、
少なくとも、家(うち)では。
「文学界」4月号に、
発表された「春と赤ン坊」は、
詩人の
独特の
不思議さのある
作品になりました。
実に味わい深く
味わい尽くせぬ奥行きがあり、
詩を味わうことの愉(たの)しみを
知ることになる作品です。
穏やかな春の日
ポカポカ陽気の菜の花畑
蜜の香りを運ぶ風にに吹かれてさ
きっとあの中では赤ん坊が眠っているのさ
いや、空で唸っているのは、電線です
一日中、空で鳴っているのは、電線です
菜の花畑に眠っているのは、赤ん坊ですけどね。
(この、「いいえ」について
あれやこれや、思いめぐらすだけで
けっこう、楽しいのです。)
ほら、あそこを走ってゆくのは自転車だよ
淡いピンクの風を切って、
向こうの道を、走ってゆくのは
自転車だよ自転車だよ
淡いピンクの風を切って
走ってゆくのは
菜の花畑や空に浮かんだ白い雲
この、視点変換!
ダダではなくて
これは、シュールです!
菜の花畑が、走るんです
白い雲が走るのは、いいですが、
菜の花畑が走るのです!
赤ん坊は
菜の花畑に
置き去りにされたままです。
この赤ん坊は、
長男文也のことでしょうか
いや、
詩人のことでしょうか
どちらでもあるようですし……
そのあたりを
あれやこれやと考えたりしていると
ふっと、浮かぶものがあったり、なかったり……
そのこと自体が
楽しい時間になります。
*
春と赤ン坊
菜の花畑で眠つてゐるのは……
菜の花畑で吹かれてゐるのは……
赤ン坊ではないでせうか?
いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど
走つてゆくのは、自転車々々々
向ふの道を、走つてゆくのは
薄桃色の、風を切つて……
薄桃色の、風を切つて
走つてゆくのは菜の花畑や空の白雲(しろくも)
――赤ン坊を畑に置いて
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
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