冬の詩を読む<7-2>頑是ない歌
「頑是ない歌」には、
幾層もの時間があります。
十二の冬
それから何年経つた、あの頃
あの頃の俺はいまいづこ
今では女房子供持ち
それから何年経つた、あの頃
あの頃の俺はいまいづこ
の、あの頃は、
同じ過去の時間かもしれません。
そうだとしても、
十二の冬と、
あの頃と
今と、
三つの時間が歌われていることは
確かです。
詩の起点になるのは
十二の冬。
その時、何があったのでしょうか。
港で汽笛を聞き、
船の吐き出す蒸気を見た、
その時、
月は雲間にあり、
大きな音の汽笛を聞いては、
ビクビクして身を縮こまらせていると、
今度、月は空にあった。
竦然(しようぜん)としなければならないものが
汽笛、
蒸気、
雲の間の月、
空の月……により
もたらされた、ということになります。
その後、何年か経ち
汽笛の蒸気を見たのか
単に、思い出すのか、
汽笛の蒸気は茫然としていて
悲しい眼差しで見る俺だったが
その俺はいまどこにいるのだろう、と
現在の、俺は、振り返ります
今、女房子どものある身になっては、
遠くへ来たものだなあ
この先まだまだいつまでも
生きてゆくのだろうけれど
こんなに遠くまで来た日々のことが
こんなに恋しくては
なんだか自信が持てないよ
自信がもてないとはいうものの
生きてゆく限りは
頑張り屋の俺のこと
きっと頑張るにちがいないと思うと
なんだか我ながらに痛々しい
考えてみても、まあ
頑張るのだとして
昔のことが恋しい時もあっても
どうにかやっていくのでしょう
考えてみれば簡単なこと
それは、とどのつまりは、意志の問題
なんとか、やるっきゃない
やりさえすればよいのだ
と思うのだけれども
十二の冬に
港の空に鳴り響いた
あの汽笛の蒸気は
今、どこへ行ってしまったのだろう
はるばる来たぜ! 函館♪
と違うのは、
思へば遠く来たもんだ、の
遠く、が、
far away from
after long time
の、どちらの意味も含んでいることでしょうか。
*
頑是ない歌
思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気(ゆげ)は今いづこ
雲の間に月はゐて
それな汽笛を耳にすると
竦然(しようぜん)として身をすくめ
月はその時空にゐた
それから何年経つたことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつてゐた
あの頃の俺はいまいづこ
今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど
生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜(よる)の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ
さりとて生きてゆく限り
結局我(が)ン張る僕の性質(さが)
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ
考へてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやつてはゆくのでせう
考へてみれば簡単だ
畢竟(ひつきやう)意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさへすればよいのだと
思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いづこ
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
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