冬の詩を読む<3-1>雪の賦
「在りし日の歌」で、
「四季」初出のものは
「むなしさ」●
「夜更けの雨」
「青い瞳」●(2 冬の朝)
「幼獣の歌」●
「冷たい夜」●
「夏の夜に覚めてみた夢」
「除夜の鐘」●
「雪の賦」●
「わが半生」
「独身者」
「ゆきてかへらぬ」
「村の時計」
「或る男の肖像」
「蛙声」
の14作品。
このうち、
「冬の詩」は6篇(●印)です。
くどいようですが
「春夏秋冬」と区分したのに
なんのいわれももありません。
極めて、便宜的なものです。
便宜的に
「文学界」は、春。
「四季」は、冬。
そんな、色分けができちゃうのです。
これは、中也を読むための、
単なる、とっかかりですが、
とっかかりにしない手もありません。
ひとつの詩を読んだ後に、
次は何を読もうか、と、
ああでもない、こうでもないと
作戦を練ることほど
楽しいものはありません。
詩人が配列したとおりに
読む必要なんて、ありません。
一人ひとりが、
詩集を読む方法をもてば、
詩の見え方も変わってくるでしょうから、
そのひとつの方法として
季節という角度で読もうとしているだけです。
「幼獣の歌」の次に
「冬の日の記憶」を読まずに
「冷たい夜」を読み、
その次の
「冬の明け方」も
「冬の夜」も
「北の海」も
「頑是ない歌」も読まずに
「雪の賦」を読んでみよう、
と、思うにいたる時間の
なんと、楽しいことでしょうか。
というわけで
種明かしをしたようなものですが
「冬の歌」に加えて
「四季」をとっかかりにして
読み進めていることになります。
「雪の賦」は
詩集後半、37番目にあり
昭和11年(1936年)3月ごろの作。
初出は「四季」昭和11年5月号です。
(つづく)
*
雪の賦
雪が降るとこのわたくしには、人生が、
かなしくもうつくしいものに――
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。
その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、
大高源吾(おほたかげんご)の頃にも降つた……
幾多(あまた)々々の孤児の手は、
そのためにかじかんで、
都会の夕べはそのために十分悲しくあつたのだ。
ロシアの田舎の別荘の、
矢来の彼方(かなた)に見る雪は、
うんざりする程(ほど)永遠で、
雪の降る日は高貴の夫人も、
ちつとは愚痴でもあらうと思はれ……
雪が降るとこのわたくしには、人生が
かなしくもうつくしいものに――
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。
* 大高源吾 吉良邸に討ち入った赤穂浪士の一人。
* 矢来 竹や丸太などを粗く組んで作った囲い。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
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