月の歌<1-2>もう一つの「湖上」
「湖上」は、名作です。
恋愛詩というのでなく
恋以前に
恋を空想している青春を
見事に表現しました。
こういうのを
作ろうと思っても
なかなか作れるものでは
ありません。
制作された 昭和5年6月、といえば
「白痴群」が廃刊になった時期です。
「白痴群」は
中也が中心になっていた
同人詩誌でした。
同人誌のグループも解散になり、
東京生活2回目の孤絶状態に
詩人は陥ります。
大都会東京に一人投げ出された
孤独な詩人。
1回目は、言うまでもなく
長谷川泰子が、
小林秀雄の元へと遁走した事件です。
長谷川泰子事件のほとぼりは
昭和5年という時期、
まだ覚めているとは言えません。
そんな時に
「湖上」は作られました。
「湖上」に、
長谷川泰子の影がないとは言えません。
そう思って
「湖上」を読むと
いっそう深みを増します。
ポッカリ月が出ましたら、
は、長谷川泰子との間に
なにがしか希望が出てきたならば、
というような意味が込められている……。
実現しない
仮定です。
ありえないデートを
空想して
歌ったと考えることができます。
「湖上」のような
愛の時間を
中也と泰子は
かつて所有したのかもしれませんし、
そんなことなかったのかもしれません。
そのような想像が
この詩を読む時間の中に
広がっていくこと。
ここに、この詩の
普遍性が発生します。
*
湖上
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
——あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。
月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。
あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
——けれど漕ぐ手はやめないで。
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
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