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2009年1月

2009年1月31日 (土)

空の歌・秋の夜空

あっちへ行ったり
こっちへ行ったりしますが
「秋の夜空」では、
詩人は空へ行ってしまいます。

行くといっても
下界から見上げているのですが
天上界の夜の宴のようすを
描きます。

そこは、
高貴な夫人たちが
賑わしくパーティーの真っ最中。
ああでもないこうでもない、と
おしゃべりしているのです。

磨かれてすべすべした床、
カンテラの灯りは金色です
小さな頭、とは、
中也らしい観察眼!
八頭身の美女を思わせる
日本人離れした女性たち。
彼女らが着ているのは、
床を引きずる長い裾のドレス。
みなさん立っていて、
椅子を置いていない
立食パーティーです。

ギラギラした明るさではなく
ほんのり明るい上天界は
遠い昔の影祭りのような
静かな夜の宴になっています。

ぼくはそっとその様子を見ていましたが……。

知らない間に、
みなさんいなくなってしまいました。
と、宴の終わりと同時に
ぼくが空想する
天上界も見えなくなります。

ぼくのいる下界は
寂しい秋の夜です……。

詩人の夜空では
ほんのりあかるく
しずかなにぎわしさの中で
夫人たちの宴が
行われていました。

この安らかで
はかないイメージは
詩人が空に求めたもの……。

(つづく)
 
 *
 秋の夜空

これはまあ、おにぎはしい、
みんなてんでなことをいふ
それでもつれぬみやびさよ
いづれ揃つて夫人たち。
    下界は秋の夜といふに
上天界のにぎはしさ。

すべすべしてゐる床(ゆか)の上、
金のカンテラ点(つ)いてゐる。
小さな頭、長い裳裾(すそ)、
椅子は一つもないのです。
    下界は秋の夜といふに
上天界のあかるさよ。

ほんのりあかるい上天界
遐(とほ)き昔の影祭、
しづかなしづかな賑はしさ
上天界の夜(よる)の宴。
    私は下界で見てゐたが、
知らないあひだに退散した。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

空の歌・曇天

「曇天」も
季節を感じさせる風物がなく
あえて言えば
冬か秋か……。

あえて季節を決めることもなく
ならば、「空の歌」とするのが
無理がない。
季節のない、空の歌です。

こちらは、
題名からして
「空」のことです。
曇った空、曇り空のこと
曇天どんてんです。

注目は、
空の 奥処(おくが)に 舞ひ入る 如く。
の、空の 奥処(おくが)、です

空の奥、は、
空の国、とか、
空のうえ、とかと
同じことでしょう。

その空の奥へ、舞い入るように
黒い旗がハタハタはためいている
小さい時には野原の上
今は都会の瓦屋根の上に、
変わらずに
ハタハタはためいている

空の奥のほうに
あるものが
ここでは、旗と明示されているのですが
旗は旗であり
旗以外の何ものでもなく
旗ってなんだろう、と
考えてしまう旗です。

ずっと変わらずに
がんばっている旗、なのか
あの時も今も、
ぼくを脅かす
不吉なもののシンボルなのか
どちらにも受け取れるような……。

気になります。
気になる旗です。

(つづく)
 
 *
 曇天

 ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
 はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

 手繰り 下ろさうと 僕は したが、 
綱も なければ それも 叶(かな)はず、
 旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処(おくが)に 舞ひ入る 如く。

 かかる 朝(あした)を 少年の 日も、
屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶(おも)ふ。
 かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。

 かの時 この時 時は 隔つれ、
此処(ここ)と 彼処(かしこ)と 所は 異れ、
 はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝(かは)らぬ かの 黒旗よ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)

2009年1月30日 (金)

空の歌・春の日の歌

「春の日の歌」は、
「春の歌」であり、
「空の歌」です。
春の、「空の歌」です。
このように、
季節のある、空の歌というのも
あるのです。

ここには、
空の国?
空のうえ?
と、「?」がついて登場するところが
意味深です。
思わせぶりです。

そんなものあるのかなあ
空の国よ
空の上なんて
そんなものあるかなあ

と、これくらいの意味にとらせておいて
あるんだよ
あるんだよ
空には国があるんだよ
空にはその上があるんだよ、と
詩人は確信しているような空です。

そこには
何があるというのでしょうか。

(つづく)

 *
 春の日の歌

流(ながれ)よ、淡(あは)き 嬌羞(けうしう)よ、
ながれて ゆくか 空の国?
心も とほく 散らかりて、
ヱヂプト煙草 たちまよふ。

流よ、冷たき 憂ひ秘め、
ながれて ゆくか 麓までも?
まだみぬ 顔の 不可思議の
咽喉(のんど)の みえる あたりまで……

午睡の 夢の ふくよかに、
野原の 空の 空のうへ?
うわあ うわあと 涕(な)くなるか

黄色い 納屋や、白の倉、
水車の みえる 彼方(かなた)まで、
ながれ ながれて ゆくなるか?

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)

空の歌・憔悴

季節を表す詩句が見られなかったり
あっても、春夏秋冬のどれかに入れることができなかったり
便宜的に「季節のない歌」とした詩も多様ですが、
便宜的に「空の歌」とした詩も
さまざまにあります。

「空」という文字がある詩を
便宜的にすべて「空の歌」として、
しかし、いかにも「空の歌」である
といった作品が見つかることもあり
偶然ながら、
まんざらでもありません。

というわけで、
「空の歌」というアングルで
通り過ぎてはもったいない作品が
いくつかあり、
その一つ「憔悴」を
あげておきます。

6章建ての長詩の5、
その第6、7連目に、

青空を喫(す)ふ 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜(よる)とて星をみる
あゝ 空の奥、空の奥。

と、あります。

また、最終章6の最終連に、

あゝ 空の歌、海の歌、
ぼくは美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

と、あり、
この作品を終わっています。
なんと!
「空の歌」という詩句そのものが
ここに登場します。
「海の歌」と並置した
詩人の意図が
思いやられますし、
この、「述志の詩」といわれる作品を
その「述志」という方向に沿って
味わうだけでは
もったいなくはありませんか。

あゝ 空の奥、空の奥。
の、「空の奥」も意味深長といいましょうか
これと似た表現は、
あちこちで見られるのですが、
宗教性につながっていくものでしょう。

(つづく)

 

 *
 憔悴

  Pour tout homme, il vient une èpoque
  où l'homme languit. ―Proverbe.
  Il faut d'abord avoir soif……
       ――Cathèrine de Mèdicis.

私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた
起きれば愁(うれ)はしい 平常(いつも)のおもひ
私は、悪い意志をもつてゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)はなかつた)
そして、夜が来ると私は思ふのだつた、
此の世は、海のやうなものであると。
私はすこししけてゐる宵の海をおもつた
其処を、やつれた顔の船頭は
おぼつかない手で漕ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく

   2

昔 私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

今私は恋愛詩を詠み
甲斐あることに思ふのだ

だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

その心が間違つてゐるかゐないか知らないが
とにかくさういふ心が残つてをり

それは時々私をいらだて
とんだ希望を起させる

昔私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない

   3

それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ

ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬(しようけい)したのにすぎなかつたかもしれぬ

あゝ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!

   4

しかし此の世の善だの悪だの
容易に人間に分りはせぬ

人間に分らない無数の理由が
あれをもこれをも支配してゐるのだ

山蔭の清水(しみづ)のやうに忍耐ぶかく
つぐむでゐれば愉(たの)しいだけだ

汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな

やがては全体の調和に溶けて
空に昇つて 虹となるのだらうとおもふ……

   5

さてどうすれば利するだらうか、とか
どうすれば哂(わら)はれないですむだらうか、とかと

要するに人を相手の思惑に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤(もつと)もと感じ
一生懸命郷(がう)に従つてもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに

さうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)ふ 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜(よる)とて星をみる
あゝ 空の奥、空の奥。

   6

しかし またかうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。

そして理窟はいつでもはつきりしてゐるのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑(をくづ)が一杯です。
それがばかげてゐるにしても、その二つつが
僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。

と、聞えてくる音楽には心惹かれ、
ちよつとは生き生きしもするのですが、
その時その二つつは僕の中に死んで、

あゝ 空の歌、海の歌、
ぼくは美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

*ローマ数字を、アラビア数字に変えました。(編者)

2009年1月29日 (木)

空の歌・朝の歌

「朝の歌」は、
小自伝というべき「詩的履歴書」(昭和11年)に、
中原中也自らが、
「大正15年5月、『朝の歌』を書く。7月頃、小林に見せる。それが東京に来て詩を人に見せる最初。 つまり『朝の歌』にてほぼ方針立つ。(略)」
と記すほどに、
詩人としての自信作であり、

「それまでとはまったく違った詩風を示している」
と、大岡昇平も認める
独自の詩を確立した、
画期的作品ということで、
多くの人がそのように
認めてもいる作品です。

この詩を書いたころ、
詩人は
ダダからの脱皮を図っていた
といわれ、
富永太郎や小林秀雄らを
通じて知ることになった
フランス象徴詩の影響も感じられる
この作品に
「空」が見られるのは
早い時期から
「空」を特別扱いしていたのではないか
という想像を推し進めます。

ここでの「空」は
幾分か宗教的ですが
自然の「空」の方が
やや色濃いといえるでしょうか。

二日酔いで目覚めた
詩人が見た
天井に漏れ出でる
朝の光……。

悪友の安アパートへ
泊まり込んでの朝の風景。
だれにも覚えのある
青春の時が
よみがえり
この詩を人気のあるものにしています。

(つづく)

 *
 朝の歌

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」より)

2009年1月28日 (水)

季節のない歌・空の歌4

「山羊の歌」
「在りし日の歌」の
二つの詩集を
一通り読み終えて、
うっすらと、この詩人の像が
浮かび上がってきた、
というところです。

作品を読む中で
人それぞれの魂に見合った歌は
見つかったでしょうか。
まだ、見つかっていないでしょうか。

1行でもいいのです。
1行が見つかれば
それは、その詩に触れたことですし
一つのその詩に出会うきっかけですし
その1行で終わってしまっても
その詩に出会ったと言ってもよい。

宗教詩人
自然詩人
叙情詩人
思想詩人
ダダイスト
……
さまざまな詩人が
浮かび上がってきます。

しかし、詩作品に関して、
ようやく、その3分の1を
読んだに過ぎません。
まだ、レッテルを貼るには
早すぎます。

中原中也には
「生前発表詩篇」
「未発表詩篇」
と分類されている詩作品や草稿が
「山羊の歌」「在りし日の歌」のほかに
およそ200篇あります。
これらを読んでいくことが先決ですし、
最終の目的でもあります。

読んでいくからといっても、
ここでは
学問をしません。
詩を読み
詩を楽しみ
詩を味わう
これが目的です。

さて、おおよその見当ですが、
未読の詩篇、
というのは、
「生前発表詩篇」
「未発表詩篇」ですが、
これを読んでいきますが、

「山羊の歌」
「在りし日の歌」の中で
読み足りなかった作品
読み間違えたと後で気づいた作品
新しい読みをしたくなった作品……など
時には、もう一度読むために、
後戻りしたりしながら、
また、未読作品を読み進める、
といった流れになることを
予想しておきます。

読み方としては、
これまでのように
春夏秋冬でくくれる、とか
月の歌、とか
空の歌、とかと
グループできる作品をまとめて
読んだりもしますが、
その日その時の
行き当たりばったりです。

「空の歌」などというグループが
グループ本来の意味で成立するかどうか
そんなことは、学問に任せておき
「空の歌」を
もう少し突っ込んで読みながら、
そろりそろりと
散歩です。

今回は、
「山羊の歌」中の「朝の歌」を
ここに載せておきます。
「空」に注目して……。

(つづく)

 *
 朝の歌

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」より)

2009年1月27日 (火)

季節のない歌・空の歌3-2

「在りし日の歌」の中の
「空の歌」を
眺めてみましょう。

数えていませんが
全詩の約5割に
さまざまな「空」が現れます。

ここでも
自然の空と
思想の空(宗教の空)に
分けられることでしょう。

とにかく
眺めるだけでも
何かが見えてきます。

「含羞」
空は死児等の亡霊にみち まばたきぬ

「むなしさ」
遐(とお)き空 線条に鳴る

「早春の風」
煙は空に身をすさび
物干竿は空に往き

「三歳の記憶」
隣家(となり)は空に 舞ひ去つてゐた!

「雨の日」
見え匿(かく)れする雨の空。

「春」
その汗を乾かさうと、雲雀(ひばり)は空に隲(あが)る。
長い校舎から合唱は空にあがる。
厳(いか)めしい紺青(こあお)となつて空から私に降りかゝかる。

「春の日の歌」
野原の 空の 空のうへ?
ながれて ゆくか 空の国?

「夏の夜」
霧の夜空は 高くて黒い。

「この小児」
コボルト空に往交(ゆきか)へば、
黒雲空にすぢ引けば、
青空をばかり――
浜の空

「秋の日」
泣きも いでなん 空の 潤み

「冬の明け方」
空は悲しい衰弱。
青空が開く。
上の上の空でジュピター神の砲(ひづつ)が鳴る。
道は空へと挨拶する。

「老いたる者をして」
東雲の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く

「秋の消息」
けざやけき顥気(こうき)の底に青空は
空に揚りて漂へり

「骨」
幾分空を反映する。

「秋日狂乱」
空の青も涙にうるんでゐる

「春と赤ン坊」
いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
走つてゆくのは菜の花畑や空の白雲(しろくも)

「雲雀」
ひねもす空で鳴りますは
ひねもす空で啼きますは
あーをい あーをい空の下

「初夏の夜」
大河(おおかは)の、その鉄橋の上方に、空はぼんやりと石磐色であるのです。

「北の海」
曇つた北海の空の下、
空を呪つてゐるのです。

「頑是ない歌」
港の空に鳴り響いた
月はその時空にゐた

「閑寂」
土は薔薇色(ばらいろ)、空には雲雀(ひばり)
空はきれいな四月です。

「除夜の鐘」
除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。
それは寺院の森の霧つた空……

「曇天」
ある朝 僕は 空の 中に、
空の 奥処(おくが)に 舞ひ入る 如く。
はたはた はたはた み空に ひとり、

「ゆきてかへらぬ」
風信機(かざみ)の上の空の色、
さてその空には銀色に、蜘蛛の巣が光り輝いてゐた。

「言葉なき歌」
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた

「或る男の肖像」
暖かいお茶も黄昏(たそがれ)の空とともに

「正午」
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

「春日狂想」
空に昇つて、光つて、消えて――

「蛙声」
その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?

(つづく)

 *
 この小児

コボルト空に往交(ゆきか)へば、
野に
蒼白の
この小児。

黒雲空にすぢ引けば、
この小児
搾(しぼ)る涙は
銀の液……

     地球が二つに割れゝばいい、
     そして片方は洋行すればいい、
     すれば私はもう片方に腰掛けて
     青空をばかり――

花崗の巌(いはほ)や
浜の空
み寺の屋根や
海の果て……

*コボルト Kobold(独) ドイツの伝説に現れる鉱山の地霊。または、いたずら好きな家の精。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

*編者注 原作第3連第2行の「もう片方」には、傍点が付されてあります。

2009年1月26日 (月)

季節のない歌・空の歌3

「空の歌」について
もう少し。

「山羊の歌」
「在りし日の歌」を
はじめから終わりまで
パラパラめくり、
「空」への言及を
もう少し、眺めてみましょう。

そう!
眺める、程度です。
まず「山羊の歌」――。

「朝の歌」
空は今日 はなだ色らし、
ひろごりて たひらかの空

「臨終」
秋空は鈍色(にびいろ)にして
白き空盲(めし)ひてありて
うすらぎて 空となるか?

「都会の夏の夜」
月は空にメダルのやうに

「凄じき黄昏」
空、演壇に立ちあがる。

「逝く夏の歌」
空は高く高く、それを見てゐた。
風はリボンを空に送り、

「悲しき朝」
知れざる炎、空にゆき!

「夏の日の歌」
青い空は動かない、
夏の空には何かがある、

「秋の夜空」
*空の字は詩句に出てこないが、タイトルに取られている。

「港市の秋」
秋空は美しいかぎり。
空は割れる。

「秋の夜空」
*詩句としては空はなく、タイトルだけにある。

「妹よ」
夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに

「木蔭」
空を見上げる私の眼(まなこ)――

「失せし希望」
暗き空へと消え行きぬ
遐(とお)きみ空に見え隠る、今もなほ。

「夏」
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
空は燃え、畑はつづき

「心象」
空は暗い綿だつた。
涙湧く。
み空の方より、
風の吹く

「みちこ」
またなが目にはかの空の
空になん、汝(な)の息絶ゆるとわれはながめぬ。

「修羅街輓歌」
空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……
空の如くははてもなし。

「雪の宵」
今夜み空はまつ暗で、

「憔悴」
あゝ 空の奥、空の奥。
あゝ 空の歌、海の歌。

「いのちの声」
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於いて文句はないのだ。

(つづく)

 *
 この小児

コボルト空に往交(ゆきか)へば、
野に
蒼白の
この小児。

黒雲空にすぢ引けば、
この小児
搾(しぼ)る涙は
銀の液……

     地球が二つに割れゝばいい、
     そして片方は洋行すればいい、
     すれば私はもう片方に腰掛けて
     青空をばかり――

花崗の巌(いはほ)や
浜の空
み寺の屋根や
海の果て……

*コボルト Kobold(独) ドイツの伝説に現れる鉱山の地霊。または、いたずら好きな家の精。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

*編者注 原作第3連第2行の「もう片方」には、傍点が付されてあります。

2009年1月24日 (土)

季節のない歌/空の歌2

「この小児」には
季節を断定する詩句語句が
見当たりません。
代わりに
目立つのが
「空」です。

そこで、この詩を
「空の歌」のグループに
分類することにし、
ついでに、ここで
「山羊の歌」(44作品)
「在りし日の歌」(58作品)から
「空の歌」を集めてみましたら、
あります! あります!

「空」の文字が登場する詩は
ざっと数えて41篇。
2詩集の約4割に
「空」は現れます。

この「空」を
じっと眺めていると
気づくことは、

一つに、
自然としての空。
一つに、
宗教的な空。

2種類の空がある、
ということです。

宗教的な空、は
形而上的な空、
あるいは哲学的な空、と
読んでもいいかもしれません。

たとえば、
「朝の歌」(山羊の歌)の
小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、

この「空」は、
自然としての空です。

いっぽう、たとえば、
「春の日の歌」(在りし日の歌)の
流(ながれ)よ、淡(あは)き 嬌羞(けうしう)よ、
ながれて ゆくか 空の国?

この空は
宗教的な空です。
自然の空以上の意味が
込められています。

(つづく)

 *
 この小児
コボルト空に往交(ゆきか)へば、
野に
蒼白の
この小児。

黒雲空にすぢ引けば、
この小児
搾(しぼ)る涙は
銀の液……

     地球が二つに割れゝばいい、
     そして片方は洋行すればいい、
     すれば私はもう片方に腰掛けて
     青空をばかり――

花崗の巌(いはほ)や
浜の空
み寺の屋根や
海の果て……

*コボルト Kobold(独) ドイツの伝説に現れる鉱山の地霊。または、いたずら好きな家の精。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

*編者注 原作第3連第2行の「もう片方」には、傍点が付されてあります。

季節のない歌/空の歌

「在りし日の歌」で
最後に読むことになったのは
「この小児」で、
詩集14番目に配されている作品です。

さて、みなさん!
この詩をどのように読みましたか?

理解できようができまいが
通しで読んで
何を感じましたか

1連目、
小児の、この、って、なんのこと
とか、
コボルト、って、いたずら好きな精霊が、
空を行き来している情景なのだろう
とかと、
読んでいれば、
それが、この詩を読んでいるということの
実際ですから、
そのほかに
詩の読みようなんて
ないのです。

コボルト小僧たちが
空を行き交っていると
野原には
青白い顔の
この子ども一人。

空が掻き曇って
黒いすじを引いたようになって
この子どもは泣いて
涙を搾り出したよ
銀(色)の涙だった

このあたりで、
この小児、とは、
詩人その人の幼少の姿であることが
見えてきます

涙を搾らなければならない
子ども。
原因は定かではないけれど
黒い雲が空に線を引く
明るくはない
不吉ともいえる何かが起こったから
泣いたのでしょう

コボルトと遊んでいるうちは
よかった
まだ幸せだった

地球が二つに割れればいい
そして、割れた半分は
西洋かどっかに
旅行にでも行っちゃってしまえばいい
そうすりゃ
私、と、ここで、
この小児は、
私=詩人として登場し
もう片方の地球に
腰掛けて、ゆったりして
青い空をばかり
眺めたりして……
詩を歌って暮らすさ

きらきら輝く花崗岩や
海辺の空や
お寺の屋根や
海の果て……などを
歌うのさ

(つづく)

 *
 この小児

コボルト空に往交(ゆきか)へば、
野に
蒼白の
この小児。

黒雲空にすぢ引けば、
この小児
搾(しぼ)る涙は
銀の液……

     地球が二つに割れゝばいい、
     そして片方は洋行すればいい、
     すれば私はもう片方に腰掛けて
     青空をばかり――

花崗の巌(いはほ)や
浜の空
み寺の屋根や
海の果て……

*コボルト Kobold(独) ドイツの伝説に現れる鉱山の地霊。または、いたずら好きな家の精。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

*編者注 原作第3連第2行の「もう片方」には、傍点が付されてあります。

2009年1月23日 (金)

月の歌<1-2>もう一つの「湖上」

「湖上」は、名作です。
恋愛詩というのでなく
恋以前に
恋を空想している青春を
見事に表現しました。

こういうのを
作ろうと思っても
なかなか作れるものでは
ありません。

制作された 昭和5年6月、といえば
「白痴群」が廃刊になった時期です。
「白痴群」は
中也が中心になっていた
同人詩誌でした。
同人誌のグループも解散になり、
東京生活2回目の孤絶状態に
詩人は陥ります。

大都会東京に一人投げ出された
孤独な詩人。

1回目は、言うまでもなく
長谷川泰子が、
小林秀雄の元へと遁走した事件です。
長谷川泰子事件のほとぼりは
昭和5年という時期、
まだ覚めているとは言えません。
そんな時に
「湖上」は作られました。
「湖上」に、
長谷川泰子の影がないとは言えません。

そう思って
「湖上」を読むと
いっそう深みを増します。

ポッカリ月が出ましたら、
は、長谷川泰子との間に
なにがしか希望が出てきたならば、
というような意味が込められている……。

実現しない
仮定です。
ありえないデートを
空想して
歌ったと考えることができます。
「湖上」のような
愛の時間を
中也と泰子は
かつて所有したのかもしれませんし、
そんなことなかったのかもしれません。

そのような想像が
この詩を読む時間の中に
広がっていくこと。
ここに、この詩の
普遍性が発生します。

 *
 湖上

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
——あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。

あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
——けれど漕ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月22日 (木)

月の歌<2>湖上

「湖上」を、
春夏秋冬のどの季節に入れるか
迷った挙句に
「月の歌」としたのは上出来でした。

そもそも、月を、
どの季節に入れるか、
こう考えたときに無理は生じます。
中秋の名月もあれば
花の宴の月もあれば
冬の月だってあり……

月と、単独で、登場すれば
月には、季節はありません。
「湖上」の月も
何の形容句がなく
単独の月です。
ボートのデートを
冬にすることはまずないから
春夏秋のいずれかでしょうが
あえて季節に分けるのをやめて
「月の歌」としました。

そこで、
「月の歌」
「月」の出てくる詩を
探してみましたら、

「山羊の歌」に
「月」
「春の夜」
「都会の夏の夜」
「失せし希望」

「在りし日の歌」に
「月」
「湖上」
「頑是ない歌」
「お道化うた」
「春宵感懐」
「幻影」
「月夜の浜辺」
「月の光 その一」
「月の光 その二」

これだけ、ありました。
これだけ、というのは、
14作ですから、
「山羊の歌」と
「在りし日の歌」の全体の
約15パーセントです。

「月の歌」ばかりでなく、
「雪の歌」
「空の歌」
「雨の歌」
……
などと、
中原中也の詩を分類しながら
作品の中に入っていく
きっかけにするのは
それほど間違ったこととは思えません。

このように分類する前に、
もう一つ、
大きな「くくり」として
「季節のない歌」を
設けておきましょう。

この一群には、
中也作品に不可欠なテーマが歌われたものが
多数、存在します。

名作「湖上」を
もう一度、味わって、
読み残した詩「この小児」へと
進みましょう。
「この小児」は、
「季節のない歌」です。

 *
 湖上

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
——あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。

あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
——けれど漕ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

月の歌<1>湖上

もし、僕に、恋人がいればの話……。

まん丸の月がぽっかり出ている日には
湖にボートを漕ぎにでかけましょう
小さな波がヒタヒタとボートに打ち寄せ
風も少しはあるでしょう

沖に漕ぎ出せばそこは暗いでしょう
オールをしたたる水の音が
親しいものに聞こえるでしょう
きみが喋る言葉の途切れる合間に。

月は聞き耳立てて
僕たちの話を聞こうとするでしょう
そのために少しは下に降りて
近づいても来るでしょう
口づけするときには
真上にあるでしょう

きみは、構わずに話し続けるでしょう
たわいないことやすねごとを……
ぼくは一言も洩らさずにじっと聞いているでしょう
でも、オールを漕ぐ手はとめないで

まん丸の月がぽっかり出ている日には
湖にボートを漕ぎにでかけましょう
小さな波がヒタヒタとボートに打ち寄せ
風も少しはあるでしょう

恋人のいない青春に
中也が捧げる
幸せな時間

静かな湖での
二人だけの
やさしい時……。

「桐の花」昭和5年(1930年)8月号に掲載されました。
制作は、同5年6月。

 *
 湖上

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
——あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。

あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
——けれど漕ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月21日 (水)

冬の詩を読む<7-2>頑是ない歌

「頑是ない歌」には、
幾層もの時間があります。

十二の冬
それから何年経つた、あの頃
あの頃の俺はいまいづこ
今では女房子供持ち

それから何年経つた、あの頃
あの頃の俺はいまいづこ
の、あの頃は、
同じ過去の時間かもしれません。

そうだとしても、
十二の冬と、
あの頃と
今と、
三つの時間が歌われていることは
確かです。

詩の起点になるのは
十二の冬。
その時、何があったのでしょうか。

港で汽笛を聞き、
船の吐き出す蒸気を見た、
その時、
月は雲間にあり、
大きな音の汽笛を聞いては、
ビクビクして身を縮こまらせていると、
今度、月は空にあった。

竦然(しようぜん)としなければならないものが
汽笛、
蒸気、
雲の間の月、
空の月……により
もたらされた、ということになります。

その後、何年か経ち
汽笛の蒸気を見たのか
単に、思い出すのか、
汽笛の蒸気は茫然としていて
悲しい眼差しで見る俺だったが
その俺はいまどこにいるのだろう、と
現在の、俺は、振り返ります

今、女房子どものある身になっては、
遠くへ来たものだなあ
この先まだまだいつまでも
生きてゆくのだろうけれど

こんなに遠くまで来た日々のことが
こんなに恋しくては
なんだか自信が持てないよ

自信がもてないとはいうものの
生きてゆく限りは
頑張り屋の俺のこと
きっと頑張るにちがいないと思うと
なんだか我ながらに痛々しい

考えてみても、まあ
頑張るのだとして
昔のことが恋しい時もあっても
どうにかやっていくのでしょう

考えてみれば簡単なこと
それは、とどのつまりは、意志の問題
なんとか、やるっきゃない
やりさえすればよいのだ

と思うのだけれども
十二の冬に
港の空に鳴り響いた
あの汽笛の蒸気は
今、どこへ行ってしまったのだろう

はるばる来たぜ! 函館♪
と違うのは、
思へば遠く来たもんだ、の
遠く、が、
far away from
after long time
の、どちらの意味も含んでいることでしょうか。

 *
 頑是ない歌

思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気(ゆげ)は今いづこ

雲の間に月はゐて
それな汽笛を耳にすると
竦然(しようぜん)として身をすくめ
月はその時空にゐた

それから何年経つたことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつてゐた
あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜(よる)の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我(が)ン張る僕の性質(さが)
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ

考へてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやつてはゆくのでせう

考へてみれば簡単だ
畢竟(ひつきやう)意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさへすればよいのだと

思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いづこ

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月20日 (火)

冬の詩を読む<7>頑是ない歌

わざわざ「冬の歌」にピックアップする
必要はなかったかもしれませんが、

春夏秋冬のいずれかに分類し、
分類できないものは、
季節のない歌として分類する、

そうと決めた、その時から、
無理を押しても、
いずれにか入れてしまおう、
という意思が働くことは
予想していたことでした。

冒頭の
思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ

この2行で、
この「頑是ない歌」を
一応、「冬の詩」に入れました。
12歳の冬を回想しているのだから
現在も、冬であろう、という推定です。

「在りし日の歌」31番目の歌。
「北の海」に続きます。
昭和10年(1935年)12月、
詩人28歳の時の制作で、
「文芸汎論」の昭和11年1月号に掲載されました。

頑是ない、とは、
聞き分けのない、の意味。
聞き分けのできないことを含み、
無邪気な、イノセントな、
という意味に転じることもあります。
聞き分けのない歌、か、
聞き分けのない者の歌、か、
イノセントな歌、か、
イノセントな者の歌、か
いろいろにとれます。

12歳の冬に聞き、見た
どこかの港の空で鳴った
船の汽笛、その蒸気を
28歳の詩人が
思い出として歌い出します。

冒頭の
思えば遠く来たもんだ、と
末尾の
汽笛の湯気や今いづこ

始めと終わりの2行で、
鮮烈に印象に残る作品。
ああ、これは、中也の詩だったのか、
などと、感慨深く読む読者が
たくさん存在することでしょう。

(つづく)

 *
 頑是ない歌

思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気(ゆげ)は今いづこ

雲の間に月はゐて
それな汽笛を耳にすると
竦然(しようぜん)として身をすくめ
月はその時空にゐた

それから何年経つたことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつてゐた
あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜(よる)の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我(が)ン張る僕の性質(さが)
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ

考へてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやつてはゆくのでせう

考へてみれば簡単だ
畢竟(ひつきやう)意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさへすればよいのだと

思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いづこ

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月19日 (月)

冬の詩を読む<6>北の海

中原中也にとって「北」とは
どのあたりのことだろう、
東北とか北海道とかのイメージは
湧いてこないから、
せいぜい、金沢あたりか、などと、
余計なことを考えます。

冬の海の、遠くで動いている白いものは
あれは、人魚であってほしいとは
だれも願うことかもしれませんが、
どっこい、人魚ではないのです。
あれは、波です。
波ばかりなのです。

曇って、いまにも、空が落ちてきそうな
北海の空の下で、
波は、ところどころが、
鮫かなんかの、獰猛(どうもう)な動物が牙をむいて
空に向かって呪っている
いつ果てることもなく
呪っている。

北の海にいるのは
人魚ではないのです。
波なのです
波の呪いなのです。

中也詩では
10本指に入るほどの
ポピュラーな作品。
人気があるようです。

「在りし日の歌」30番目の歌。
昭和10年(1935年)2月の作で、
「歴程」の昭和10年5月号に掲載されました。

呪いに、幾分かは、
詩作というもののメタファーが
込められているものか、どうか。
暗い情念のようなものが
詩作のモチベーションになるということは
中也には
あり得ることです。

 *
 北の海

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。

曇つた北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪(のろ)つてゐるのです。
いつはてるとも知れない呪。

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月18日 (日)

冬の詩を読む<5-2>冬の夜

薬缶の湯が煮えたぎる音ばかりがする
冬の夜更け。
静かであることが
薬缶の音によって際立ちます。
サウンド・オブ・サイレンス……。
沈黙の音……。
空想は深まってゆき、
むなしさの極みには、
空気のような状態になるのでした。
すると、
なんだか、愉快といえるような
影とタバコとぼくと犬の競演です。

ここで、後半の2に入ります。

空気は、いいものです。
寒い冬の夜の室内の空気ほど
よいものは他にありませんよ。
タバコの煙も、いいですね
愉快です
みなさんは、やがて、
それがわかります
同感するときが来ます。

空気ほどよいものはない
寒い夜の、
痩せた年増女の手のような、
その弾力のない手の
やわらかいような、かたいような
かたく、弾力のない
タバコの煙のような、
その年増女の情熱のような
燃えるような
もう情熱が消えたような

冬の室内の
空気ほどよいものはありません。
みなさん……。
ね。

「冬の夜」は、
「日本詩」昭和10年(1935年)4月号に発表された
昭和8年1月制作作品です。
「在りし日の歌」24番目の配置。

前半に、空想の中に出てくる女は
後半になって、年増女に変わります。
空想に出てくる女は、
僕を苦労させる女ですし、
年増女は
弾力のあるような、ないような
かたいような、やわらかいような
煙のような
情熱の、燃えるような
情熱の、消えたような

いるような、いないような
冬の夜の室内の
空気のようで
それよりよいものはないのです。

詩人は、
何かを失った果てに
何かを獲得したというようなことを
歌っているのかもしれません。
ねえ、みなさん。

 *
 冬の夜

みなさん今夜は静かです
薬鑵(やくわん)の音がしてゐます
僕は女を想つてる
僕には女がないのです

それで苦労もないのです
えもいはれない弾力の
空気のやうな空想に
女を描いてみてゐるのです

えもいはれない弾力の
澄み亙(わた)つたる夜の沈黙(しじま)
薬鑵の音を聞きながら
女を夢みてゐるのです

かくて夜は更(ふ)け夜は深まつて
犬のみ覚めたる冬の夜は
影と煙草と僕と犬
えもいはれないカクテールです

   2

空気よりよいものはないのです
それも寒い夜の室内の空気よりもよいものはないのです
煙よりよいものはないのです
煙より 愉快なものもないのです
やがてはそれがお分りなのです
同感なさる時が 来るのです

空気よりよいものはないのです
寒い夜の痩せた年増女(としま)の手のやうな
その手の弾力のやうな やはらかい またかたい
かたいやうな その手の弾力のやうな
煙のやうな その女の情熱のやうな
炎(も)えるやうな 消えるやうな

冬の夜の室内の 空気よりよいものはないのです

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月17日 (土)

冬の詩を読む<5>冬の夜

みなさん、と呼びかける詩は、
この「冬の夜」のほかに、
「春宵感懐」
「春日狂想」がありました。

これは、
みなさん、という呼びかけの言葉がある詩を収集した
ということばかりでなく、
中原中也の詩が、
メッセージ性をもつ詩、
メッセージ詩に豊富であることの
現れの一つを示しています。

「春宵感懐」の第1連、

みなさん、今夜は、春の宵(よひ)。
 なまあつたかい、風が吹く。

「春日狂想」の最終連、

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
(略)

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テムポ正しく、握手をしましせう。

よく考えてみると
自分の死後を見る詩「骨」の、
ホラホラ、これが僕の骨だ、
の、ホラホラも呼びかけの言葉ですから、
「呼びかけの詩」と
呼んでよいかもしれません。

みなさん
今夜は静かな夜です
さきほどから、
ストーブの上の薬罐が
チンチンと音を立てています
ぼくは、女のことをずっと思っています
ぼくには、女がいないのです。

それで、何の苦労もないのです
何とも言えない弾力のある
いっぱいあっても、
あると感じていない
空気のような空想のように
女のことを思うだけです

空気のような空想、とは
二重否定に近い用語法ですが
空想の空しさ
空しい空想、くらいの意味にとり、
女を空想する空しさを表している、
と、とりましたが、どうでしょうか。

何とも言えない弾力のある
澄み渡った夜のしじまに
薬罐の音を聞きながら
女のことを夢見ているのです

こうして夜は更けて
犬だけが眠っていない冬の夜
物の影と、煙草と、ぼくと犬の
何とも言えないカクテル!

ここまでが、前半の1です。

(つづく)

 *
 冬の夜

みなさん今夜は静かです
薬鑵(やくわん)の音がしてゐます
僕は女を想つてる
僕には女がないのです

それで苦労もないのです
えもいはれない弾力の
空気のやうな空想に
女を描いてみてゐるのです

えもいはれない弾力の
澄み亙(わた)つたる夜の沈黙(しじま)
薬鑵の音を聞きながら
女を夢みてゐるのです

かくて夜は更(ふ)け夜は深まつて
犬のみ覚めたる冬の夜は
影と煙草と僕と犬
えもいはれないカクテールです

   2

空気よりよいものはないのです
それも寒い夜の室内の空気よりもよいものはないのです
煙よりよいものはないのです
煙より 愉快なものもないのです
やがてはそれがお分りなのです
同感なさる時が 来るのです

空気よりよいものはないのです
寒い夜の痩せた年増女(としま)の手のやうな
その手の弾力のやうな やはらかい またかたい
かたいやうな その手の弾力のやうな
煙のやうな その女の情熱のやうな
炎(も)えるやうな 消えるやうな

冬の夜の室内の 空気よりよいものはないのです

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月16日 (金)

冬の詩を読む<4>冬の明け方

「冬の明け方」は、
「在りし日の歌」19番目にあり、
「歴程」昭和11年(1936年)4月号に発表された
昭和10年11月制作の作品です。

「雪の歌」にもピックアップしましたが
こちらは、
雪といっても「残んの雪」、
つまり、残雪ですが、
雄大な山脈に残る雪や
降りしきる雪ではなく、
瓦屋根に、
少しだけ、固まった残りの雪。
わびしい雪です。

あそこの瓦屋根の残り雪は
少ししかなくて、固そうで
庭の枯れ木の小枝は、
鹿のように眠い。
冬の朝6時、
私の頭もまだ目覚めておらず
眠い。

カラスが鳴いて通ってゆく
庭の地面もまだ、鹿のように眠たそう。

——林が逃げた農家が逃げた、

これは、中也がよく使うレトリックの一つ
林が逃げた、というのは、
林がどこかに行ってしまった、というのではなく
林もまだ目覚めておらず
そこにあるのだけれど、
ないのも同然という、不在感を表現したもの。

農家も、
同様に解すことができるでしょう。
林も農家も
まだ、冬の朝に、起きていないのです。

だから、
空は悲しい衰弱。

私も、
心は悲しい……

でも、やがて、日がのぼり
薄日がさし、
青空が開かれる。
空の上の方では
万能の神ジュピターが
大砲を撃ち鳴らし、
太陽が輝く時になる。
周囲の山山は、沈んでゆき、

農家の庭先で、
生き物がようやく朝を迎え、
道も眠りから覚めるのだけど、
私の心は
悲しいままだ。

 *
 冬の明け方

残んの雪が瓦に少なく固く
枯木の小枝が鹿のやうに睡(ねむ)い、
冬の朝の六時
私の頭も睡い。

烏が啼いて通る——
庭の地面も鹿のやうに睡い。
——林が逃げた農家が逃げた、
空は悲しい衰弱。
     私の心は悲しい……

やがて薄日が射し
青空が開(あ)く。
上の上の空でジュピター神の砲(ひづつ)が鳴る。
——四方(よも)の山が沈み、

農家の庭が欠伸(あくび)をし、
道は空へと挨拶する。
     私の心は悲しい……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月15日 (木)

冬の詩を読む<3-3>「雪の歌」

ここで、また、寄り道することにして、
「雪の歌」を拾っておきます。

ざっと見ただけですが、
7作品が見つかりました。

「山羊の歌」に
「汚れつちまつた悲しみに……」
「雪の宵」
「生ひ立ちの歌」

「在りし日の歌」に
「冬の明け方」
「雪の賦」

「未発表詩篇」の
「ノート少年時」(1928年ー1930年)に
「雪が降ってゐる……」

「草稿詩篇」(1933年ー1936年)に
「僕の吹雪」

7作品全部を、載せておきます。

(つづく)

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

 *
 雪の宵

      青いソフトに降る雪は
      過ぎしその手か囁(ささや)きか  白秋

ホテルの屋根に降る雪は
過ぎしその手か、囁きか

  ふかふか煙突煙(けむ)吐いて、
  赤い火の粉も刎(は)ね上る。

今夜み空はまつ暗で、
暗い空から降る雪は……

  ほんに別れたあのをんな、
  いまごろどうしてゐるのやら。

ほんにわかれたあのをんな、
いまに帰つてくるのやら

  徐(しづ)かに私は酒のんで
  悔と悔とに身もそぞろ。

しづかにしづかに酒のんで
いとしおもひにそそらるる……

  ホテルの屋根に降る雪は
  過ぎしその手か、囁きか

ふかふか煙突煙吐いて
赤い火の粉も刎ね上る。

 *
 生ひ立ちの歌

  Ⅰ

    幼年時
私の上に降る雪は
真綿(まわた)のやうでありました

    少年時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のやうでありました

    十七—十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のやうに散りました

    二十—二十二
私の上に降る雪は
雹(ひよう)であるかと思はれた

    二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました

    二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……

   Ⅱ

私の上に降る雪は
花びらのやうに降つてきます
薪(たきぎ)の燃える音もして
凍るみ空の黝(くろ)む頃

私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸べて降りました

私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のやうでありました

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生したいと祈りました

私の上に降る雪は
いと貞潔でありました

 *
 冬の明け方

残んの雪が瓦に少なく固く
枯木の小枝が鹿のやうに睡(ねむ)い、
冬の朝の六時
私の頭も睡い。

烏が啼いて通る——
庭の地面も鹿のやうに睡い。
——林が逃げた農家が逃げた、
空は悲しい衰弱。
     私の心は悲しい……

やがて薄日が射し
青空が開(あ)く。
上の上の空でジュピター神の砲(ひづつ)が鳴る。
——四方(よも)の山が沈み、

農家の庭が欠伸(あくび)をし、
道は空へと挨拶する。
     私の心は悲しい……

 *
 雪の賦

雪が降るとこのわたくしには、人生が、
かなしくもうつくしいものに——
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。

その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、
大高源吾(おほたかげんご)の頃にも降つた……

幾多(あまた)々々の孤児の手は、
そのためにかじかんで、
都会の夕べはそのために十分悲しくあつたのだ。

ロシアの田舎の別荘の、
矢来の彼方(かなた)に見る雪は、
うんざりする程(ほど)永遠で、

雪の降る日は高貴の夫人も、
ちつとは愚痴でもあらうと思はれ……

雪が降るとこのわたくしには、人生が
かなしくもうつくしいものに——
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

 *
 雪が降ってゐる……

雪が降ってゐる、
  とほくを。
雪が降ってゐる、
  とほくを。
捨てられた羊かなんぞのように
  とほくを、
雪が降ってゐる、
  とほくを。
たかい空から、
  とほくを、
とほくを
  とほくを、
お寺の屋根にも、
  それから、
たえまもなしに。
  空から、
雪が降ってゐる
  それから、
兵営にゆく道にも、
  それから、
日が暮れかかる、
  それから、
喇叭(らつぱ)がきこえる。
  それから、
雪が降ってゐる、
  なほも。

 *
 僕と吹雪

自然は、僕という貝に、
花吹雪(はなふぶ)きを、激しく吹きつけた。

僕は、現識過剰で、
腹上死同然だつた。

自然は、僕を、
吹き通してカラカラにした。

僕は、現職の、
形式だけを残した。

僕は、まるで、
論理の亡者。

僕は、既に、
亡者であつた!

  祈祷す、世の親よ、子供をして、呑気にあらしめよ
  かく慫慂するは、汝が子供の、性に目覚めること、
  遅からしめ、それよ、神経質なる者と、なさざらん
  ためなればなり。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

冬の詩を読む<3-2>雪の賦

読みはじめて3日。
読みあぐねている、というか
頭の中が、詩を読む状態にない日が3日あった、
ということか。

読んでも、文字面(もじづら)をなめているだけで、
詩に込められた思いが立ち上がってこない
想像の翅(はね)が広がらない
感興がわかない状態でした。

こういうときには、
詩は読めないし、読まない方がよい。
ということを思えば思うほど
詩を読むことの
一回性というようなことがあるのだ、と
逆に、見えてくるものもあります。

雪が降ると、人生が
かなしく
うつくしい
憂愁に満ちたものに思えるのでした。

その、雪っていうのは、中世の、
戦国時代の城の塀にも降り
赤穂浪士・大高源吾の活躍したころにも降りました
いつであろうと、雪は降り

たくさんの孤児たちの手は
雪のためにかじかんできました、
きょうこの頃の、都会の夕べにあっても
詩人のこころを悲しくさせるのに十分でした

ロシア革命で揺れる
ロシアの田舎の別荘の
矢来の向こうに広がる
ツンドラ(凍土)の雪も、
うんざりするほど
凄まじく強大で、永遠になくなりそうにもありません

雪の降る日には
貴婦人たちも
愚痴の一つを口にしていますよ、きっと。

ああ、雪が降ると、
雪が降ると、
人生を思い、
かなしく
うつくしい
憂愁に満ちたものに思えるのでした。

(つづく)

 *
 雪の賦

雪が降るとこのわたくしには、人生が、
かなしくもうつくしいものに――
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。

その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、
大高源吾(おほたかげんご)の頃にも降つた……

幾多(あまた)々々の孤児の手は、
そのためにかじかんで、
都会の夕べはそのために十分悲しくあつたのだ。

ロシアの田舎の別荘の、
矢来の彼方(かなた)に見る雪は、
うんざりする程(ほど)永遠で、

雪の降る日は高貴の夫人も、
ちつとは愚痴でもあらうと思はれ……

雪が降るとこのわたくしには、人生が
かなしくもうつくしいものに――
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。

* 大高源吾 吉良邸に討ち入った赤穂浪士の一人。
* 矢来 竹や丸太などを粗く組んで作った囲い。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月13日 (火)

冬の詩を読む<3-1>雪の賦

「在りし日の歌」で、
「四季」初出のものは

「むなしさ」●
「夜更けの雨」
「青い瞳」●(2 冬の朝)
「幼獣の歌」●
「冷たい夜」●
「夏の夜に覚めてみた夢」
「除夜の鐘」●
「雪の賦」●
「わが半生」
「独身者」
「ゆきてかへらぬ」
「村の時計」
「或る男の肖像」
「蛙声」

の14作品。
このうち、
「冬の詩」は6篇(●印)です。

くどいようですが
「春夏秋冬」と区分したのに
なんのいわれももありません。
極めて、便宜的なものです。

便宜的に
「文学界」は、春。
「四季」は、冬。
そんな、色分けができちゃうのです。
これは、中也を読むための、
単なる、とっかかりですが、
とっかかりにしない手もありません。

ひとつの詩を読んだ後に、
次は何を読もうか、と、
ああでもない、こうでもないと
作戦を練ることほど
楽しいものはありません。

詩人が配列したとおりに
読む必要なんて、ありません。
一人ひとりが、
詩集を読む方法をもてば、
詩の見え方も変わってくるでしょうから、
そのひとつの方法として
季節という角度で読もうとしているだけです。

「幼獣の歌」の次に
「冬の日の記憶」を読まずに
「冷たい夜」を読み、
その次の
「冬の明け方」も
「冬の夜」も
「北の海」も
「頑是ない歌」も読まずに
「雪の賦」を読んでみよう、
と、思うにいたる時間の
なんと、楽しいことでしょうか。

というわけで
種明かしをしたようなものですが
「冬の歌」に加えて
「四季」をとっかかりにして
読み進めていることになります。

「雪の賦」は
詩集後半、37番目にあり
昭和11年(1936年)3月ごろの作。
初出は「四季」昭和11年5月号です。

(つづく)

 *
 雪の賦

雪が降るとこのわたくしには、人生が、
かなしくもうつくしいものに――
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。

その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、
大高源吾(おほたかげんご)の頃にも降つた……

幾多(あまた)々々の孤児の手は、
そのためにかじかんで、
都会の夕べはそのために十分悲しくあつたのだ。

ロシアの田舎の別荘の、
矢来の彼方(かなた)に見る雪は、
うんざりする程(ほど)永遠で、

雪の降る日は高貴の夫人も、
ちつとは愚痴でもあらうと思はれ……

雪が降るとこのわたくしには、人生が
かなしくもうつくしいものに――
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。

* 大高源吾 吉良邸に討ち入った赤穂浪士の一人。
* 矢来 竹や丸太などを粗く組んで作った囲い。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

冬の詩を読む<3> 冷たい夜

「冷たい夜」は、
「四季」の昭和11年(1936年)2月号に
発表された作品。
同年1月の制作
と推定されています。
前年12月、同誌同人になりましたから、
「四季」同人としての初作品です。

ここでは、
冬の寒い夜の
私の気持ちが歌われているのですが
私とは、詩人であり
詩作の困難さも歌われています。
詩人論の歌として読んでも
面白い歌ということになります。

冬の夜に
私の心は悲しんでいる
わけもなく、悲しんでいる
心は錆びちゃって、紫色に固まっている

私は頑丈な扉の中に閉ざされていて
扉の向こうには
昔のことがほったらかしになったままだ
丘の上では
綿の実がはじけている、というのに。

ここでは、薪が燃え燻って
煙が立ち上っているが
煙は、自ら、燃えていないことを知るかのように
心細げに上っている

誘われるでもなく
求めるでもなく
頼りなげに立ち上っている煙は
私を見るようで
私の心さへ燻っているよ

 *
 冷たい夜

冬の夜に
私の心が悲しんでゐる
悲しんでゐる、わけもなく……
心は錆びて、紫色をしてゐる。

丈夫な扉の向ふに、
古い日は放心してゐる。
丘の上では
棉の実が罅裂(はじ)ける。

此処(ここ)では薪が燻(くすぶ)つてゐる、
その煙は、自分自らを
知つてでもゐるやうにのぼる。

誘はれるでもなく
覓(もと)めるでもなく、
私の心が燻る……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月12日 (月)

冬の詩を読む<1-2>幼獣の歌

「幼獣の歌」は
「在りし日の歌」14番目にある作品で、
「四季」の昭和11年(1936年)8月号に発表されました。
詩集の前の方に配されていても
制作は、昭和11年6月ごろと推測される
29歳、晩年の作です。

ここでは
詩を創造することそのことが
詩の内容になっています。
詩人を、狼かなにかの、獣(けもの)に
しかも、幼いけものに、喩(たと)えます。

黒い夜の、草深い野原で、
一匹の幼獣が、
火消し壷、というのは、
夜になると、
その日使っていて、
まだ使える部分の残る炭火などを
その壷に入れて、消しておき、
翌日になると、
また、取り出して使うための壷のことで、
その壷の中で、
火打石をすって、火をつけるというのは
ふつうの人がしないことをするという意味とか
世の中に逆らって、とかの意味を示すのでしょうか
そうやって
幼獣が、星、つまり詩を作った。
野では、冬の風が、渦巻いていた。

これが、中也の詩作のイメージです。

獣は、もはや、外界とか世俗とか
なにものも見なかった。
カスタネットの音とか
月の光以外のものを、見なかった。

目を覚ますことのない星、とは、
世間へ目を向けることのない作品、とか
世俗に媚(こび)を売らない詩、とか

壷の中には
神を汚しかねないものさえ
迎え入れて
幼き獣は、詩を作った。

雨の降った後のように
思い出は一塊になって押し寄せ
風に巻かれ、波打った
ああ、思い出とは
なんともなまめかしい物語であることか!
奴隷も王女のように美しくあってほしいもの!

卵殻(らんかく)に似て
のっぺらぼうで無表情な
どこぞとやらの御曹司の微笑と
鈍い子どもの感覚こそ
その幼獣が怖がるものだ

このあたりは
無限に理解が広がるところです
神を冒涜することさへ
してしまうかもしれないほどの
詩人が怖がるものへのことあげです。

そして、第1連に
バリエーションを加えてのルフラン

黒い夜草深い野の中で、
一匹の獣の心は燻(くすぶ)る。

完全燃焼し得ず
くすぶっている獣……。

黒い夜草深い野の中で――
太古(むかし)は、独語も美しかつた!……

むかしは、
モノローグですら
美しかったのだ。

この、むかしとは
太古を示しながら
名辞以前の時、という意味も
含ませているでしょう、きっと。

 *
 幼獣の歌

黒い夜草深い野にあつて、
一匹の獣(けもの)が火消壺の中で
燧石(ひうちいし)を打つて、星を作つた。
冬を混ぜる 風が鳴つて。

獣はもはや、なんにも見なかつた。
カスタニェットと月光のほか
目覚ますことなき星を抱いて、
壺の中には冒涜(ぼうとく)を迎へて。

雨後らしく思ひ出は一塊(いつくわい)となつて
風と肩を組み、波を打つた。
あゝ なまめかしい物語――
奴隷も王女と美しかれよ。

     卵殻もどきの貴公子の微笑と
     遅鈍な子供の白血球とは、
     それな獣を怖がらす。

黒い夜草深い野の中で、
一匹の獣の心は燻(くすぶ)る。
黒い夜草深い野の中で――
太古(むかし)は、独語も美しかつた!……

*カスタニェット カスタネットのこと。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

冬の詩を読む<1-1>幼獣の歌

「在りし日の歌」58篇を
タイトルや詩句や内容によって
便宜的に「秋」「夏」「春」「冬」と
分けて読んだらどうなるか。
思いつきではじめ、
残すは「冬の歌」だけとなりました。

「冬の歌」をさらってみると
次のようになります。

むなしさ
青い瞳 2 冬の朝
幼獣の歌
冬の記憶
冷たい夜
冬の明け方
冬の夜
北の海
頑是ない歌
除夜の鐘
雪の譜
冬の長門峡

さて、これで、「在りし日の歌」58篇を
春夏秋冬という角度ですべてさらったのですが
残った作品があります。

季節を表す詩句語句がないものや
どの季節に分類してよいかわからないもの、
断定できないもの、
しないほうがよいものなどが
残ったことになります。
これを、この場では「無季の歌」と
あくまで便宜的にですが
呼んでおきます。

一瞥して、
「永訣の秋」には、
この「無季の歌」が多いことに気づきます。
「永訣の秋」なのだから
「秋の歌」であろう、と思うのですが
そうはなっていません。

というわけで、
「在りし日の歌」を
まだ読んでいないはじめのほうに
戻りますと、
「死」をテーマとした作品の多い
詩集後半部に比べて
なにがしか「明るさ」が感じられる詩に出会います。

「幼獣の歌」には、その「明るさ」があります。
はじめとっつきにくい作品かもしれませんが
何度も何度も読んでいると、
次第にわかりはじめ
忘れられない歌になる、といった作品の一つです。

(つづく)

 *
 幼獣の歌

黒い夜草深い野にあつて、
一匹の獣(けもの)が火消壺の中で
燧石(ひうちいし)を打つて、星を作つた。
冬を混ぜる 風が鳴つて。

獣はもはや、なんにも見なかつた。
カスタニェットと月光のほか
目覚ますことなき星を抱いて、
壺の中には冒涜(ぼうとく)を迎へて。

雨後らしく思ひ出は一塊(いつくわい)となつて
風と肩を組み、波を打つた。
あゝ なまめかしい物語――
奴隷も王女と美しかれよ。

     卵殻もどきの貴公子の微笑と
     遅鈍な子供の白血球とは、
     それな獣を怖がらす。

黒い夜草深い野の中で、
一匹の獣の心は燻(くすぶ)る。
黒い夜草深い野の中で――
太古(むかし)は、独語も美しかつた!……

*カスタニェット カスタネットのこと。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月11日 (日)

春の歌を拾う<6>わが半生

「在りし日の歌」58篇のすべては
生前、中也がどこだかの詩誌、雑誌、新聞などに
発表したもので、
多い順に、
「文学界」20
「四季」14
「歴程」5
「文芸汎論」3
「紀元」2
「生活者」2
その他の計12メディアに各1篇づつ、
という内訳になっています。
(「中原中也必携」吉田煕生編により集計)

「春の歌」というくくりで読むと
「在りし日の歌」には、

早春の風(帝国大学新聞)
春(生活者)
春の日の歌●
春と赤ン坊●
雲 雀●
閑寂(歴程)
思ひ出●
わが半生(四季)
春宵感懐●
また来ん春……●
正午 丸ビル風景●
春日狂想●

の、12篇が見つかりました。
この12篇中8篇(●印)が
「文学界」への発表作品でした。
12篇のうちで、これまで読んでいないのは
「わが半生」で
これは「四季」昭和11年(1936年)7月号発表です。
「四季」へは、前年の昭和10年(1935年)末に
正式に同人となりました。
その関係で、
「在りし日の歌」の作品の初出誌では
第2の発表誌です。

同年7月号メディアへの発表作品には
「曇天」(改造)、
「春宵感懐」(文学界)があります。
中也29歳。
長男文也、生まれて約1年10ヶ月の可愛い盛り。

訳詩集「ランボウ詩抄」を」刊行したり
懸賞に応募したり
放送局(NHK)の入社面接を受けたり
相変わらず、精力的です。

しみじみと、
人生を振り返るときが
あったのでしょうか。
「在りし日」を歌う流れでしょうか。
はじまりは、
私は随分苦労して来た。
です。

苦労とは、また、中也にしては
ストレートです。

が、そんなものを語ろうなどとは思わない
苦労に価値があるものかなどとも考えはしない

ただ、苦労してきたなあ、と思うだけだ。
いま、机の前に座っている自分を見ていて
じっと、手を眺めるだけだ

ぼくは、啄木とはちがう
なんて、感じていたか

外では、木の葉がそよぎ
はるかな気持ちになります
春の宵です。
こんな夜
ぼくは、静かに死ぬ
座ったまま、死んでいくのだ。

はるかな気持ち、とは
次の次にある「春宵感懐」の
第2連、
なんだかはるかな、幻想が、の
はるかな、に連なります

ここにも
「汚れつちまつた悲しみに……」の
「倦怠のうちに死を夢む」の
流れがあります。

 *
 わが半生

私は随分苦労して来た。
それがどうした苦労であつたか、
語らうなぞとはつゆさへ思はぬ。
またその苦労が果して価値の
あつたものかなかつたものか、
そんなことなぞ考へてもみぬ。

とにかく私は苦労して来た。
苦労して来たことであつた!
そして、今、此処(ここ)、机の前の、
自分を見出すばつかりだ。
じつと手を出し眺めるほどの
ことしか私は出来ないのだ。

   外(そと)では今宵(こよい)、木の葉がそよぐ。
   はるかな気持の、春の宵だ。
   そして私は、静かに死ぬる、
   坐つたまんまで、死んでゆくのだ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月 9日 (金)

春の歌を拾う<5-2>春宵感懐

「春宵感懐」は、
58作を収めた「在りし日の歌」の
40番目にある作品です。

句読点を
入れられる、あらゆる場所に入れ、
七五調を保っています。

雨が、あがつて、風が吹く。

これは、
雨があがつて、風が吹く。
で、OKだったはずですが、
詩人は、なんらかの意図で
「文節」で区切りをつけたかったのでしょう。
端正な七五調に
したくなかったのかもしれません。

でも、これは
七五調でしょう。
流麗感が出ていますし、
全体がリズミカルですし、
第1連の
みなさん、という呼びかけが
スムーズに詩に溶け込んでいることを
サポートしています。

この第1連は
最終の第5連で繰り返されますから
この中の「みなさん」は
ボディーブローのように
利きます。

みなさん、
今夜は、
雨上がりの風が吹き
雲が流れて月を隠す
なまあったかーい日ですよー
なんて、
なぜ、呼びかけなきゃならないのでしょうか。

「在りし日の歌」一番の絶唱
と呼んで差し支えないであろう
「春日狂想」の最終章最終連にも
みなさん、の呼びかけはあります。
こちらは、一オクターブ高い声の感じで
ハイ、みなさん、と呼びかけるのですが
その「前哨戦」だからでしょうか
これより前に作られた「春宵感懐」では、
さりげなく、
詩句に溶け込んだ感じの
みなさん、です。

春宵は
生暖かい風が吹いて
溜息が出るは幻想が湧くは
でも、
そいつの正体は掴めないし、
だれもそいつを語ることもできない

だからこそ
いのち・命というものですが
だからといって、
そのことを示すこともできない

だから、
人間てのは、
ひとりひとりが孤独に
心で感じているものを
他人と顔を合わせれば
にっこり、愛想笑いの一つでもして
一生を過ごすのですねえ

そうですよねえ

それにしても
なまあったかい
夜ですねえ。

 *
 春宵感懐

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵(よひ)。
 なまあつたかい、風が吹く。

なんだか、深い、溜息が、
 なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴(つか)めない。
 誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない
 ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
 けれども、それは、示(あ)かせない……

かくて、人間、ひとりびとり、
 こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
 ことして、一生、過ぎるんですねえ

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

春の歌を拾う<5-1>春宵感懐

中原中也の第2詩集「在りし日の歌」の
全作品が、
知られているようで、
案外知られていないようなのですが、
生前、どこかの詩誌、雑誌、新聞などに
発表されたものです。

昭和11年、1936年は、
中也の死ぬ1年前ですが
この年、かなり精力的に
あちこちへ寄稿していることが
わかります。

「在りし日の歌」中の作品で
同年7月号に発表されたものに
「わが半生」(四季)
「春宵感懐」(文学界)
「曇天」(改造)の3作があります。

「文学界」発表作品が
ここにもあります。
「春の歌を拾う」にピックアップした
12篇のうち、8篇が
「文学界」出品作ということになります。

そもそも、
小林秀雄が編集者の位置にいる
「文学界」への出品が
他誌(紙)にまさるのは
必然的ですが、
「春の歌」の高比率は驚きです。

「春の歌を拾う」の流れで読んできた者が、
「文学界」発表作品がここにもあることを見つけては、
偶然ではないような感じもしますが
それを考究するつもりはありません。

「春の歌」に
特別な意味を見出そうとするつもりはなく
便宜的に、そのくくりで読んできただけですから、
傾向分析その他の意味付与は
無意味ですし、無謀です。

「春宵感懐」は
第2連の、溜息、幻想が、
キーワードでしょうか……。

(つづく)

 *
 春宵感懐

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵(よひ)。
 なまあつたかい、風が吹く。

なんだか、深い、溜息が、
 なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴(つか)めない。
 誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない
 ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
 けれども、それは、示(あ)かせない……

かくて、人間、ひとりびとり、
 こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
 ことして、一生、過ぎるんですねえ

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月 8日 (木)

春の歌を拾う<4-1>思ひ出(元)

「思ひ出」には、
元になった詩が二つあり、
それは、
「草稿詩篇(1933年ー1936年)」の中の
(海は、お天気の日には)と
(お天気の日の海の沖では)です。

どちらも、「未発表詩篇」の内の
決定稿に至らない作品で、
タイトルもつけられていません。

タイトルのない中也作品は
研究の便宜上( )をつけて
冒頭行で指示する習わしがあります。

小林秀雄が
「文学界」の編集責任者になって以降
中也は、常連の寄稿作家であり、
作りためた草稿から2作を選び
これに手を加えて、
新たに、「思ひ出」という作品にした、
という詩人・中村稔の考証があり、
それが、昭和11年(1936年)8月号に発表された
という事情が
「中原中也必携」(吉田煕生編、学燈社)に
紹介されています。

詩作品の成立事情とは
このようなものである、という
一つの例で、
とても興味深い話です。

原作品が、
新たな別の作品に生まれ変わる、
という例としても
大変、面白い話ですし、
マジックを見るような楽しさもあります。
手品の種明かしを見るようでもあります。

その2作品を
載せておきます。

 *
 (海は、お天気の日には)

海は、お天気の日には、
綺麗だ。
海は、お天気の日には、
金や銀だ。

それなのに、雨の降る日は、
海は、怖い。
海は、雨の降る日は、
呑まれるやうに、怖い。

ああ私の心にも雨の日と、お天気の日と、
その両方があるのです。

その交代のはげしさに、
心は休まる暇もなく

 *
 (お天気の日の海の沖では)

お天気の日の海の沖では
子供が大勢遊んでゐます
お天気の日の海をみてると
女が恋しくなつて来ます

女が恋しくなるともう浜辺に立つてはゐられません
女が恋しくなると人は日蔭に帰つて来ます
日蔭に帰つて来ると案外又つまらないものです
それで人はまた浜辺に出て行きます

それなのに人は大部分日蔭に暮します
何かしようと毎日毎日
人は希望や企画に燃えます

さうして働いた幾年かの後に、
人は死んでゆくんですけれど、
死ぬ時思ひ出すことは、多分はお天気の日の海のことです。
               (一九三四・一一・二九)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

春の歌を拾う<4-1>思ひ出(後)

「思ひ出」前半の末尾で
煉瓦工場が
ポカポカ陽気の日差しを受けていながら
ちっともあったかそうではないことに、
私=詩人は気づきました。

アスタリスク4個で区切られて
後半に入った詩は
マイナーへと転調し、
煉瓦工場のその後を歌いはじめ
いきなり、
廃れ、死んでしまった工場の様子の
描写に入ります。

窓もガラスも壊れ
木立の前に、ぼんやり……

この、ぼんやり、は意味深長です
前半部では、
私がぼんやりタバコを吹かしているのに
ここでは、煉瓦工場がぼんやり、です

沖からは波の音が聞こえてくるし
庭に陽は照りつけているけど
煉瓦工場に働く人は来ないし
僕も行かない、
(私ではない)僕も行かない

じゃあ、僕は、ここにいないということになり、
前半部の私と、この僕とは、
別人なのか……?
いろいろと想像してしまいます

思い出として
煉瓦工場を歌っているのだから
工場が廃れて以後には僕は行かなかった、
という過去を意味しているのでしょう

このあたりから、
詩は、俄然、この詩固有の深みを見せ、
詩の頂点へと辿りついたまま、
結末を迎えます

かつては、
モクモクと煙を吐き出していた煙突は
いまや、不気味に立っている
ただ立っている、だけです。
雨の日も
晴れた日も
ただ立っている
不気味です。

不気味なオブジェと化した
煉瓦工場を、
その煙突を、
表意文字である漢字を拒否して
ぶきみ、とひらがなで表現した
詩人の意図が見えます

そこで、
この謎めいた詩句が
置かれるのです

相当ぶきみな、煙突でさへ
今ぢやどうさへ、手出しも出来ず
この尨大(ぼうだい)な、古強者(ふるつはもの)が
時々恨む、その眼は怖い

煙突さへ手出しのできない
古強者とは
なんのことでしょうか
時々恨む、
その眼が怖い、という
古強者とは……

ズバリと言ってしまえば
それは、死。

その眼が怖くて
今日も僕は
浜へ来て、石に腰かけ
ぼんやりしていると
胸の内から、波打ってくるのを
どうすることもできない。

 *
 思ひ出

お天気の日の、海の沖は
なんと、あんなに綺麗なんだ!
お天気の日の、海の沖は
まるで、金や、銀ではないか

金や銀の沖の波に、
ひかれひかれて、岬(みさき)の端に
やつて来たれど金や銀は
なほもとほのき、沖で光つた。

岬の端には煉瓦工場が、
工場の庭には煉瓦干されて、
煉瓦干されて赫々(あかあか)してゐた
しかも工場は、音とてなかつた

煉瓦工場に、腰をば据ゑて、
私は暫く煙草を吹かした。
煙草吹かしてぼんやりしてると、
沖の方では波が鳴つてた。

沖の方では波が鳴らうと、
私はかまはずぼんやりしてゐた。
ぼんやりしてると頭も胸も
ポカポカポカポカ暖かだつた

ポカポカポカポカ暖かだつたよ
岬の工場は春の陽をうけ、
煉瓦工場は音とてもなく
裏の木立で鳥が啼(な)いてた

鳥が啼いても煉瓦工場は、
ビクともしないでジッとしてゐた
鳥が啼いても煉瓦工場の、
窓の硝子は陽をうけてゐた

窓の硝子は陽をうけてても
ちつとも暖かさうではなかつた
春のはじめのお天気の日の
岬の端の煉瓦工場よ!

 *  *
   *  *

煉瓦工場は、その後廃(すた)れて、
煉瓦工場は、死んでしまつた
煉瓦工場の、窓も硝子(ガラス)も、
今は毀(こは)れてゐようといふもの

煉瓦工場は、廃れて枯れて、
木立の前に、今もぼんやり
木立に鳥は、今も啼くけど
煉瓦工場は、朽ちてゆくだけ

沖の波は、今も鳴るけど
庭の土には、陽が照るけれど
煉瓦工場に、人夫は来ない
煉瓦工場に、僕も行かない

嘗(かつ)て煙を、吐いてた煙突も、
今はぶきみに、たゞ立つてゐる
雨の降る日は、殊にもぶきみ
晴れた日だとて、相当ぶきみ

相当ぶきみな、煙突でさへ
今ぢやどうさへ、手出しも出来ず
この尨大(ぼうだい)な、古強者(ふるつはもの)が
時々恨む、その眼は怖い

その眼は怖くて、今日も僕は
浜へ出て来て、石に腰掛け
ぼんやり俯(うつむ)き、案じてゐれば
僕の胸さへ、波を打つのだ

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月 7日 (水)

春の歌を拾う<4-1>思ひ出(前)

「思ひ出」は、
昭和11年(1936年)の
「文学界」8月号に発表された作品で、
かなりの長詩です。
中也全詩を調べていませんが、
「在りし日の歌」では、
「春日狂想」と肩を並べる長さです。

シュールっぽく
幻想的でもある
「春と赤ン坊」「雲雀」に比べて
こちらは、リアルな感じがあります。

菜の花畑が走ったり(「春と赤ン坊」)
あの山この山が歩いたり(「雲雀」)
とは違って、
煉瓦工場が、
廃れ、朽ち、
死んでいく
という物語があり、
それをモチーフにして、
思い出を歌うのです。

こちらは、春の海が舞台です。
晴れた日の、
春の海の沖合を眺めると
金や銀に光っている
なんと、綺麗なんだ、と歌いはじまり、

少しでも近くで見てみよう、と
岬の端までやってきますが、
金や銀に輝く沖は
近づくでもなく、
いよいよ遠のくばかり

そこで、
煉瓦工場を見つけます。
工場の庭には煉瓦が干されてあり
赤々と、レンガ色が鮮やかだった
しかも、そこはしーんと静まりかえっていた

そこで、私は腰を下ろし、
しばらくタバコを吹かし、
ぼんやりしていると、
頭の中までぼんやりしてきて
沖の波が聞こえてくるばかりでした

……

ポカポカ陽気の工場で
そうやって
陽を浴び、
鳥の声を聴いていた……が、

ふと、
煉瓦工場は音一つ立てず
ビクリともせずジッとしているのに気づきました
窓ガラスは陽を受けているのに
ちっとも暖かそうではなかったのです

ここまでが前半。

(つづく)

 *
 思ひ出

お天気の日の、海の沖は
なんと、あんなに綺麗なんだ!
お天気の日の、海の沖は
まるで、金や、銀ではないか

金や銀の沖の波に、
ひかれひかれて、岬(みさき)の端に
やつて来たれど金や銀は
なほもとほのき、沖で光つた。

岬の端には煉瓦工場が、
工場の庭には煉瓦干されて、
煉瓦干されて赫々(あかあか)してゐた
しかも工場は、音とてなかつた

煉瓦工場に、腰をば据ゑて、
私は暫く煙草を吹かした。
煙草吹かしてぼんやりしてると、
沖の方では波が鳴つてた。

沖の方では波が鳴らうと、
私はかまはずぼんやりしてゐた。
ぼんやりしてると頭も胸も
ポカポカポカポカ暖かだつた

ポカポカポカポカ暖かだつたよ
岬の工場は春の陽をうけ、
煉瓦工場は音とてもなく
裏の木立で鳥が啼(な)いてた

鳥が啼いても煉瓦工場は、
ビクともしないでジッとしてゐた
鳥が啼いても煉瓦工場の、
窓の硝子は陽をうけてゐた

窓の硝子は陽をうけてても
ちつとも暖かさうではなかつた
春のはじめのお天気の日の
岬の端の煉瓦工場よ!

 *  *
   *  *

煉瓦工場は、その後廃(すた)れて、
煉瓦工場は、死んでしまつた
煉瓦工場の、窓も硝子(ガラス)も、
今は毀(こは)れてゐようといふもの

煉瓦工場は、廃れて枯れて、
木立の前に、今もぼんやり
木立に鳥は、今も啼くけど
煉瓦工場は、朽ちてゆくだけ

沖の波は、今も鳴るけど
庭の土には、陽が照るけれど
煉瓦工場に、人夫は来ない
煉瓦工場に、僕も行かない

嘗(かつ)て煙を、吐いてた煙突も、
今はぶきみに、たゞ立つてゐる
雨の降る日は、殊にもぶきみ
晴れた日だとて、相当ぶきみ

相当ぶきみな、煙突でさへ
今ぢやどうさへ、手出しも出来ず
この尨大(ぼうだい)な、古強者(ふるつはもの)が
時々恨む、その眼は怖い

その眼は怖くて、今日も僕は
浜へ出て来て、石に腰掛け
ぼんやり俯(うつむ)き、案じてゐれば
僕の胸さへ、波を打つのだ

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月 6日 (火)

春の歌を拾う<3-3> 雲雀

「春と赤ン坊」は27番目
「雲雀」は28番目。
「在りし日の歌」のほぼ真ん中に
この2作は、続けて置かれています。

そして、この2作は、
ほとんど、同じ情景を歌っています。

小林秀雄に
「最近、詩が上手くなったね」と言われ、
憤慨した詩人が思われますが、
この2作が、「文学界」に掲載されたこととの関連は、
分かりません。

そんなことどもに関係なく、
いい詩です。
単純なようで
深みがあります。
分かりそうで
分からない、
作品というものの謎が
ここにはありまして、
心に残ります。

一日中、空で鳴っているのは
あれは、電線ですよ、電線ですよ。
一日中、空で鳴いているのは、
あれは、雲の子です、雲雀です。

青い青い空の中に、
入り込んじゃって、
空の中に潜り込んじゃって
ピーチクピーチク鳴いているのは
雲雀、雲の子だよ。

ほれ、歩いてゆくのは、
菜の花畑だよ
向こうの地平の方に、歩いてゆくのは
あの山、この山だよ
青い青い空の下

眠っているのは
菜の花畑で眠っているのは
風に吹かれて菜の花畑で
眠っているのは
赤ん坊かな?

この?
なんだか挑発的な感じがしませんか?

赤ん坊じゃないです、
とは、言わせないような
感じがあります。

 *
 雲 雀

ひねもす空で鳴りますは
あゝ 電線だ、電線だ
ひねもす空で啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴(ひばりめ)だ

碧(あーを)い 碧(あーを)い空の中
ぐるぐるぐると 潜(もぐ)りこみ
ピーチクチクと啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴だ

歩いてゆくのは菜の花畑
地平の方へ、地平の方へ
歩いてゆくのはあの山この山
あーをい あーをい空の下

眠つてゐるのは、菜の花畑に
菜の花畑に、眠つてゐるのは
菜の花畑で風に吹かれて
眠つてゐるのは赤ン坊だ?

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

春の歌を拾う<3-2> 春と赤ン坊

昭和10年(1935年)という年。
中原中也は、
精力的に各誌へ発表します。

前年には、
長男文也が誕生していますから
「お父さん振り」も
堂に入ったものになってきました、
少なくとも、家(うち)では。

「文学界」4月号に、
発表された「春と赤ン坊」は、
詩人の
独特の
不思議さのある
作品になりました。

実に味わい深く
味わい尽くせぬ奥行きがあり、
詩を味わうことの愉(たの)しみを
知ることになる作品です。

穏やかな春の日
ポカポカ陽気の菜の花畑
蜜の香りを運ぶ風にに吹かれてさ
きっとあの中では赤ん坊が眠っているのさ

いや、空で唸っているのは、電線です
一日中、空で鳴っているのは、電線です
菜の花畑に眠っているのは、赤ん坊ですけどね。

(この、「いいえ」について
あれやこれや、思いめぐらすだけで
けっこう、楽しいのです。)

ほら、あそこを走ってゆくのは自転車だよ
淡いピンクの風を切って、
向こうの道を、走ってゆくのは
自転車だよ自転車だよ

淡いピンクの風を切って
走ってゆくのは
菜の花畑や空に浮かんだ白い雲

この、視点変換!
ダダではなくて
これは、シュールです!
菜の花畑が、走るんです
白い雲が走るのは、いいですが、
菜の花畑が走るのです!

赤ん坊は
菜の花畑に
置き去りにされたままです。

この赤ん坊は、
長男文也のことでしょうか

いや、
詩人のことでしょうか

どちらでもあるようですし……

そのあたりを
あれやこれやと考えたりしていると
ふっと、浮かぶものがあったり、なかったり……

そのこと自体が
楽しい時間になります。

 *
 春と赤ン坊

菜の花畑で眠つてゐるのは……
菜の花畑で吹かれてゐるのは……
赤ン坊ではないでせうか?

いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど

走つてゆくのは、自転車々々々
向ふの道を、走つてゆくのは
薄桃色の、風を切つて……

薄桃色の、風を切つて
走つてゆくのは菜の花畑や空の白雲(しろくも)
――赤ン坊を畑に置いて

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

春の歌を拾う<3-1>

「春と赤ン坊」と「雲雀」は、
昭和10年(1935年)の
「文学界」4月号に、
同時に発表された作品です。

長谷川泰子をめぐる
「奇妙な三角関係」は
このころようやく、
少なくとも表面的には
過去形となっており、
また、
その当事者である小林秀雄が、
「文学界」の編集責任者のポジションを得ていたことで
中原中也は、
「文学界」に作品を発表することが容易でした。
小林秀雄のはからいがあったのですが、
中也は、それを大いに利用しました。

この2作品は、
「文学界」に初めて載ったものです。

 *
 春と赤ン坊

菜の花畑で眠つてゐるのは……
菜の花畑で吹かれてゐるのは……
赤ン坊ではないでせうか?

いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど

走つてゆくのは、自転車々々々
向ふの道を、走つてゆくのは
薄桃色の、風を切つて……

薄桃色の、風を切つて
走つてゆくのは菜の花畑や空の白雲(しろくも)
――赤ン坊を畑に置いて

 *
 雲 雀

ひねもす空で鳴りますは
あゝ 電線だ、電線だ
ひねもす空で啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴(ひばりめ)だ

碧(あーを)い 碧(あーを)い空の中
ぐるぐるぐると 潜(もぐ)りこみ
ピーチクチクと啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴だ

歩いてゆくのは菜の花畑
地平の方へ、地平の方へ
歩いてゆくのはあの山この山
あーをい あーをい空の下

眠つてゐるのは、菜の花畑に
菜の花畑に、眠つてゐるのは
菜の花畑で風に吹かれて
眠つてゐるのは赤ン坊だ?

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月 5日 (月)

春の歌を拾う<2>閑寂

一度でも読んだ作品はおいて
先を急ぐのは、
浅くてもよいから
全作にとにかく目を通しておきたいからです。

「閑寂」は
第2次「歴程」の創刊号、
昭和11年(1936年)3月号に発表された
昭和10年4月ころの作と推定される作品です。

制作年が異なるとはいえ
「春」に極めて近い内容の詩です。

「春」では、
鈴を転ばしている猫に
詩人が擬せられていましたが
「閑寂」では、
ストレートに私を歌います。
詩人である私の閑寂を歌います。

この私は、
日曜日の学校の渡り廊下に
一人取り残される生徒です。
中学生でしょうか
小学生でしょうか。

中学生ならば
落第前の山口中学の生徒でしょうか
落第して転校した立命館中学の生徒でしょうか

それとも、小学生の時のことでしょうか
その思い出でしょうか

ほかの生徒たちは
みんな野原へ行っちゃって
一人流し場の、
締め忘れられた蛇口から落ちる水滴が
輝いているのを見ています。
渡り廊下は冷たそうなつやを放ち
校庭では雀が鳴いている

土はバラ色!
空にはひばり!
4月の空のなんときれいなこと!

訪れる人はだれもいません。
人ばかりではなく、
何も私の心を邪魔しない
閑寂です。
静かです。

この閑寂は、
「汚れつちまつた悲しみに……」の
「倦怠」にも繋がっている
中也独特の、というか
中也一流の、というか
大きな大きなテーマの一つです。

 *
 閑寂

なんにも訪(おとな)ふことのない、
私の心は閑寂だ。

    それは日曜日の渡り廊下、
    ——みんなは野原へ行つちやつた。

板は冷たい光沢(つや)をもち、
小鳥は庭に啼(な)いてゐる。

    締めの足りない水道の、
    蛇口の滴(しづく)は、つと光り!

土は薔薇色(ばらいろ)、空には雲雀(ひばり)
空はきれいな四月です。

    なんにも訪(おとな)ふことのない、
    私の心は閑寂だ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

春の歌を拾う<1>ラインナップ

「秋の歌」と「夏の歌」とを
まとめて、読んで、
深い意味があったわけではありませんが、
それなりに発見もありましたから
ここで、「春の歌」を
「在りし日の歌」から拾っておきましょう。

といっても、
厳密な意味での
「春の歌」でないことは
「秋」「夏」の場合と同じです。

タイトルに「春」がある詩、
詩句に春の字がある詩
詩句に春を指示する喩(ゆ)がある詩
以上のいずれでもないが春を指示している詩
……

中也詩が、
季節そのものを歌うということは、
そもそも、なかった、ということを
あらためて、知ることになる
そんな作品ばかりです。

とりあえず
「在りし日の歌」を順にたどってみると
以下の作品が見つかります。

 *
 早春の風

  けふ一日(ひとひ)また金の風
 大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風

  女王の冠さながらに
 卓(たく)の前には腰を掛け
かびろき窓にむかひます

  外吹く風は金の風
 大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風

  枯草の音のかなしくて
 煙は空に身をすさび
日影たのしく身を嫋(なよ)ぶ

  鳶色(とびいろ)の土かをるれば
 物干竿は空に往き
登る坂道なごめども

  青き女(をみな)の顎(あぎと)かと
 岡に梢のとげとげし
今日一日また金の風……

 *
 春

春は土と草とに新しい汗をかゝせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空に隲(あが)る。
瓦屋根今朝不平がない、
長い校舎から合唱は空にあがる。

あゝ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸摶(う)つた希望は今日を、
厳(いか)めしい紺青(こあを)となつて空から私に降りかゝる。

そして私は呆気(ほうけ)てしまふ、バカになつてしまふ
——薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?
薮かげの小川か銀か小波か?

大きい猫が頸ふりむけてぶきつちよに
一つの鈴をころばしてゐる、
一つの鈴を、ころばして見てゐる。

 *
 春の日の歌

流(ながれ)よ、淡(あは)き 嬌羞(けうしう)よ、
ながれて ゆくか 空の国?
心も とほく 散らかりて、
ヱヂプト煙草 たちまよふ。

流よ、冷たき 憂ひ秘め、
ながれて ゆくか 麓までも?
まだみぬ 顔の 不可思議の
咽喉(のんど)の みえる あたりまで……

午睡の 夢の ふくよかに、
野原の 空の 空のうへ?
うわあ うわあと 涕(な)くなるか

黄色い 納屋や、白の倉、
水車の みえる 彼方(かなた)まで、
ながれ ながれて ゆくなるか?

 *
 春と赤ン坊

菜の花畑で眠つてゐるのは……
菜の花畑で吹かれてゐるのは……
赤ン坊ではないでせうか?

いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど

走つてゆくのは、自転車々々々
向ふの道を、走つてゆくのは
薄桃色の、風を切つて……

薄桃色の、風を切つて
走つてゆくのは菜の花畑や空の白雲(しろくも)
——赤ン坊を畑に置いて

 *
 雲 雀

ひねもす空で鳴りますは
あゝ 電線だ、電線だ
ひねもす空で啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴(ひばりめ)だ

碧(あーを)い 碧(あーを)い空の中
ぐるぐるぐると 潜(もぐ)りこみ
ピーチクチクと啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴だ

歩いてゆくのは菜の花畑
地平の方へ、地平の方へ
歩いてゆくのはあの山この山
あーをい あーをい空の下

眠つてゐるのは、菜の花畑に
菜の花畑に、眠つてゐるのは
菜の花畑で風に吹かれて
眠つてゐるのは赤ン坊だ?

 *
 閑寂

なんにも訪(おとな)ふことのない、
私の心は閑寂だ。
    それは日曜日の渡り廊下、
    ——みんなは野原へ行つちやつた。

板は冷たい光沢(つや)をもち、
小鳥は庭に啼(な)いてゐる。
    締めの足りない水道の、
    蛇口の滴(しづく)は、つと光り!

土は薔薇色(ばらいろ)、空には雲雀(ひばり)
空はきれいな四月です。
    なんにも訪(おとな)ふことのない、
    私の心は閑寂だ。

 *
 思ひ出

お天気の日の、海の沖は
なんと、あんなに綺麗なんだ!
お天気の日の、海の沖は
まるで、金や、銀ではないか

金や銀の沖の波に、
ひかれひかれて、岬(みさき)の端に
やつて来たれど金や銀は
なほもとほのき、沖で光つた。

岬の端には煉瓦工場が、
工場の庭には煉瓦干されて、
煉瓦干されて赫々(あかあか)してゐた
しかも工場は、音とてなかつた

煉瓦工場に、腰をば据ゑて、
私は暫く煙草を吹かした。
煙草吹かしてぼんやりしてると、
沖の方では波が鳴つてた。

沖の方では波が鳴らうと、
私はかまはずぼんやりしてゐた。
ぼんやりしてると頭も胸も
ポカポカポカポカ暖かだつた

ポカポカポカポカ暖かだつたよ
岬の工場は春の陽をうけ、
煉瓦工場は音とてもなく
裏の木立で鳥が啼(な)いてた

鳥が啼いても煉瓦工場は、
ビクともしないでジッとしてゐた
鳥が啼いても煉瓦工場の、
窓の硝子は陽をうけてゐた

窓の硝子は陽をうけてても
ちつとも暖かさうではなかつた
春のはじめのお天気の日の
岬の端の煉瓦工場よ!

 *  *
   *  *

煉瓦工場は、その後廃(すた)れて、
煉瓦工場は、死んでしまつた
煉瓦工場の、窓も硝子(ガラス)も、
今は毀(こは)れてゐようといふもの

煉瓦工場は、廃れて枯れて、
木立の前に、今もぼんやり
木立に鳥は、今も啼くけど
煉瓦工場は、朽ちてゆくだけ

沖の波は、今も鳴るけど
庭の土には、陽が照るけれど
煉瓦工場に、人夫は来ない
煉瓦工場に、僕も行かない

嘗(かつ)て煙を、吐いてた煙突も、
今はぶきみに、たゞ立つてゐる
雨の降る日は、殊にもぶきみ
晴れた日だとて、相当ぶきみ

相当ぶきみな、煙突でさへ
今ぢやどうさへ、手出しも出来ず
この尨大(ぼうだい)な、古強者(ふるつはもの)が
時々恨む、その眼は怖い

その眼は怖くて、今日も僕は
浜へ出て来て、石に腰掛け
ぼんやり俯(うつむ)き、案じてゐれば
僕の胸さへ、波を打つのだ

 *
 わが半生

私は随分苦労して来た。
それがどうした苦労であつたか、
語らうなぞとはつゆさへ思はぬ。
またその苦労が果して価値の
あつたものかなかつたものか、
そんなことなぞ考へてもみぬ。

とにかく私は苦労して来た。
苦労して来たことであつた!
そして、今、此処(ここ)、机の前の、
自分を見出すばつかりだ。
じつと手を出し眺めるほどの
ことしか私は出来ないのだ。

   外(そと)では今宵(こよい)、木の葉がそよぐ。
   はるかな気持の、春の宵だ。
   そして私は、静かに死ぬる、
   坐つたまんまで、死んでゆくのだ。

 *
 春宵感懐

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵(よひ)。
 なまあつたかい、風が吹く。

なんだか、深い、溜息が、
 なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴(つか)めない。
 誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない
 ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
 けれども、それは、示(あ)かせない……

かくて、人間、ひとりびとり、
 こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
 ことして、一生、過ぎるんですねえ

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。

 *
 また来ん春……

また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫(にやあ)といひ
鳥を見せても猫(にやあ)だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……

 *
 正午
   丸ビル風景

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振つて
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

 *
 春日狂想

   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごふ)(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

   2

奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前(せん)より、本なら熟読。
そこで以前より、人には丁寧。

テムポ正しき散歩をなして
麦稈真田(ばくかんさなだ)を敬虔(けいけん)に編み——

まるでこれでは、玩具(おもちや)の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)へば、につこり致し、

飴売爺々(あめうりぢぢい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなつたら、日蔭に這入(はひ)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。

空に昇つて、光つて、消えて——
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましよ。

勇んで茶店に這入(はひ)りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、——

戸外(そと)はまことに賑やかなこと!
——ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国(あつち)に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美(は)しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に——
テムポ正しく、握手をしませう。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2009年1月 4日 (日)

降りかかる希望/春・再読

「春」は、
「生活者」昭和4年(1929年)9月号に発表された
「在りし日の歌」10番目の作品です。

 

中也22歳。
この年に、同人誌「白痴群」が創刊されます。

 

一度読みましたが
「新春」を機に
もう一度読んでおきます。

 

春になると
土や草に光沢が出て
まるで汗をかいたようになる
その汗を乾かそうとするかのように
ひばりが空にまっすぐあがり
民家の瓦屋根は穏やかな陽をあびている
細長い校舎からは清らかな合唱の声が立ち上っている

 

ああ、静かだ静かだ
ぼくにも、めぐってきた
これが、今年の春だ
むかしぼくの胸を躍らせた希望は
今日というこの日
混じり気のひとつもない
怖いような群青色の青となって
ぼくに降りかかってきている

 

ぼくは、呆けてしまう
馬鹿になってしまい……

 

これは、藪かげを流れる
小川か銀のような小川か漣(さざなみ)か
目の眩む光の乱舞の中で
ぼくは幻を見る

 

すると
大きな猫が振り向いて
ぶきっちょに
ひとつの鈴を転がしている
ひとつの鈴を転ばしては
鈴を見ている
そして、また、転ばしている

 

最終連は
白日夢。
その中に現れる猫は
詩人。

 

 * 
 春

 

春は土と草とに新しい汗をかゝせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空に隲(あが)る。
瓦屋根今朝不平がない、
長い校舎から合唱は空にあがる。

 

あゝ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸摶(う)つた希望は今日を、
厳(いか)めしい紺青(こあを)となつて空から私に降りかゝる。

 

そして私は呆気(ほうけ)てしまふ、バカになつてしまふ
——薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?
薮かげの小川か銀か小波か?

 

大きい猫が頸ふりむけてぶきつちよに
一つの鈴をころばしてゐる、
一つの鈴を、ころばして見てゐる。

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
 *原文のルビは、( )内に表記しました。

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