春の歌を拾う<2>閑寂
一度でも読んだ作品はおいて
先を急ぐのは、
浅くてもよいから
全作にとにかく目を通しておきたいからです。
「閑寂」は
第2次「歴程」の創刊号、
昭和11年(1936年)3月号に発表された
昭和10年4月ころの作と推定される作品です。
制作年が異なるとはいえ
「春」に極めて近い内容の詩です。
「春」では、
鈴を転ばしている猫に
詩人が擬せられていましたが
「閑寂」では、
ストレートに私を歌います。
詩人である私の閑寂を歌います。
この私は、
日曜日の学校の渡り廊下に
一人取り残される生徒です。
中学生でしょうか
小学生でしょうか。
中学生ならば
落第前の山口中学の生徒でしょうか
落第して転校した立命館中学の生徒でしょうか
それとも、小学生の時のことでしょうか
その思い出でしょうか
ほかの生徒たちは
みんな野原へ行っちゃって
一人流し場の、
締め忘れられた蛇口から落ちる水滴が
輝いているのを見ています。
渡り廊下は冷たそうなつやを放ち
校庭では雀が鳴いている
土はバラ色!
空にはひばり!
4月の空のなんときれいなこと!
訪れる人はだれもいません。
人ばかりではなく、
何も私の心を邪魔しない
閑寂です。
静かです。
この閑寂は、
「汚れつちまつた悲しみに……」の
「倦怠」にも繋がっている
中也独特の、というか
中也一流の、というか
大きな大きなテーマの一つです。
*
閑寂
なんにも訪(おとな)ふことのない、
私の心は閑寂だ。
それは日曜日の渡り廊下、
——みんなは野原へ行つちやつた。
板は冷たい光沢(つや)をもち、
小鳥は庭に啼(な)いてゐる。
締めの足りない水道の、
蛇口の滴(しづく)は、つと光り!
土は薔薇色(ばらいろ)、空には雲雀(ひばり)
空はきれいな四月です。
なんにも訪(おとな)ふことのない、
私の心は閑寂だ。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
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