春の歌を拾う<6>わが半生
「在りし日の歌」58篇のすべては
生前、中也がどこだかの詩誌、雑誌、新聞などに
発表したもので、
多い順に、
「文学界」20
「四季」14
「歴程」5
「文芸汎論」3
「紀元」2
「生活者」2
その他の計12メディアに各1篇づつ、
という内訳になっています。
(「中原中也必携」吉田煕生編により集計)
「春の歌」というくくりで読むと
「在りし日の歌」には、
早春の風(帝国大学新聞)
春(生活者)
春の日の歌●
春と赤ン坊●
雲 雀●
閑寂(歴程)
思ひ出●
わが半生(四季)
春宵感懐●
また来ん春……●
正午 丸ビル風景●
春日狂想●
の、12篇が見つかりました。
この12篇中8篇(●印)が
「文学界」への発表作品でした。
12篇のうちで、これまで読んでいないのは
「わが半生」で
これは「四季」昭和11年(1936年)7月号発表です。
「四季」へは、前年の昭和10年(1935年)末に
正式に同人となりました。
その関係で、
「在りし日の歌」の作品の初出誌では
第2の発表誌です。
同年7月号メディアへの発表作品には
「曇天」(改造)、
「春宵感懐」(文学界)があります。
中也29歳。
長男文也、生まれて約1年10ヶ月の可愛い盛り。
訳詩集「ランボウ詩抄」を」刊行したり
懸賞に応募したり
放送局(NHK)の入社面接を受けたり
相変わらず、精力的です。
しみじみと、
人生を振り返るときが
あったのでしょうか。
「在りし日」を歌う流れでしょうか。
はじまりは、
私は随分苦労して来た。
です。
苦労とは、また、中也にしては
ストレートです。
が、そんなものを語ろうなどとは思わない
苦労に価値があるものかなどとも考えはしない
ただ、苦労してきたなあ、と思うだけだ。
いま、机の前に座っている自分を見ていて
じっと、手を眺めるだけだ
ぼくは、啄木とはちがう
なんて、感じていたか
外では、木の葉がそよぎ
はるかな気持ちになります
春の宵です。
こんな夜
ぼくは、静かに死ぬ
座ったまま、死んでいくのだ。
はるかな気持ち、とは
次の次にある「春宵感懐」の
第2連、
なんだかはるかな、幻想が、の
はるかな、に連なります
ここにも
「汚れつちまつた悲しみに……」の
「倦怠のうちに死を夢む」の
流れがあります。
*
わが半生
私は随分苦労して来た。
それがどうした苦労であつたか、
語らうなぞとはつゆさへ思はぬ。
またその苦労が果して価値の
あつたものかなかつたものか、
そんなことなぞ考へてもみぬ。
とにかく私は苦労して来た。
苦労して来たことであつた!
そして、今、此処(ここ)、机の前の、
自分を見出すばつかりだ。
じつと手を出し眺めるほどの
ことしか私は出来ないのだ。
外(そと)では今宵(こよい)、木の葉がそよぐ。
はるかな気持の、春の宵だ。
そして私は、静かに死ぬる、
坐つたまんまで、死んでゆくのだ。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
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