月の歌<1>湖上
もし、僕に、恋人がいればの話……。
まん丸の月がぽっかり出ている日には
湖にボートを漕ぎにでかけましょう
小さな波がヒタヒタとボートに打ち寄せ
風も少しはあるでしょう
沖に漕ぎ出せばそこは暗いでしょう
オールをしたたる水の音が
親しいものに聞こえるでしょう
きみが喋る言葉の途切れる合間に。
月は聞き耳立てて
僕たちの話を聞こうとするでしょう
そのために少しは下に降りて
近づいても来るでしょう
口づけするときには
真上にあるでしょう
きみは、構わずに話し続けるでしょう
たわいないことやすねごとを……
ぼくは一言も洩らさずにじっと聞いているでしょう
でも、オールを漕ぐ手はとめないで
まん丸の月がぽっかり出ている日には
湖にボートを漕ぎにでかけましょう
小さな波がヒタヒタとボートに打ち寄せ
風も少しはあるでしょう
恋人のいない青春に
中也が捧げる
幸せな時間
静かな湖での
二人だけの
やさしい時……。
「桐の花」昭和5年(1930年)8月号に掲載されました。
制作は、同5年6月。
*
湖上
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
——あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。
月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。
あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
——けれど漕ぐ手はやめないで。
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
« 冬の詩を読む<7-2>頑是ない歌 | トップページ | 月の歌<2>湖上 »
「0001はじめての中原中也」カテゴリの記事
- <再読>時こそ今は……/彼女の時の時(2011.06.13)
- <再読>生ひ立ちの歌/雪で綴るマイ・ヒストリー(2011.06.12)
- <再読>雪の宵/ひとり酒(2011.06.11)
- <再読>修羅街輓歌/あばよ!外面(そとづら)だけの君たち(2011.06.10)
- <再読> 秋/黄色い蝶の行方(2011.06.09)
コメント