冬の詩を読む<6>北の海
中原中也にとって「北」とは
どのあたりのことだろう、
東北とか北海道とかのイメージは
湧いてこないから、
せいぜい、金沢あたりか、などと、
余計なことを考えます。
冬の海の、遠くで動いている白いものは
あれは、人魚であってほしいとは
だれも願うことかもしれませんが、
どっこい、人魚ではないのです。
あれは、波です。
波ばかりなのです。
曇って、いまにも、空が落ちてきそうな
北海の空の下で、
波は、ところどころが、
鮫かなんかの、獰猛(どうもう)な動物が牙をむいて
空に向かって呪っている
いつ果てることもなく
呪っている。
北の海にいるのは
人魚ではないのです。
波なのです
波の呪いなのです。
中也詩では
10本指に入るほどの
ポピュラーな作品。
人気があるようです。
「在りし日の歌」30番目の歌。
昭和10年(1935年)2月の作で、
「歴程」の昭和10年5月号に掲載されました。
呪いに、幾分かは、
詩作というもののメタファーが
込められているものか、どうか。
暗い情念のようなものが
詩作のモチベーションになるということは
中也には
あり得ることです。
*
北の海
海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。
曇つた北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪(のろ)つてゐるのです。
いつはてるとも知れない呪。
海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
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