月の歌<2>湖上
「湖上」を、
春夏秋冬のどの季節に入れるか
迷った挙句に
「月の歌」としたのは上出来でした。
そもそも、月を、
どの季節に入れるか、
こう考えたときに無理は生じます。
中秋の名月もあれば
花の宴の月もあれば
冬の月だってあり……
月と、単独で、登場すれば
月には、季節はありません。
「湖上」の月も
何の形容句がなく
単独の月です。
ボートのデートを
冬にすることはまずないから
春夏秋のいずれかでしょうが
あえて季節に分けるのをやめて
「月の歌」としました。
そこで、
「月の歌」
「月」の出てくる詩を
探してみましたら、
「山羊の歌」に
「月」
「春の夜」
「都会の夏の夜」
「失せし希望」
「在りし日の歌」に
「月」
「湖上」
「頑是ない歌」
「お道化うた」
「春宵感懐」
「幻影」
「月夜の浜辺」
「月の光 その一」
「月の光 その二」
これだけ、ありました。
これだけ、というのは、
14作ですから、
「山羊の歌」と
「在りし日の歌」の全体の
約15パーセントです。
「月の歌」ばかりでなく、
「雪の歌」
「空の歌」
「雨の歌」
……
などと、
中原中也の詩を分類しながら
作品の中に入っていく
きっかけにするのは
それほど間違ったこととは思えません。
このように分類する前に、
もう一つ、
大きな「くくり」として
「季節のない歌」を
設けておきましょう。
この一群には、
中也作品に不可欠なテーマが歌われたものが
多数、存在します。
名作「湖上」を
もう一度、味わって、
読み残した詩「この小児」へと
進みましょう。
「この小児」は、
「季節のない歌」です。
*
湖上
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
——あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。
月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。
あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
——けれど漕ぐ手はやめないで。
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
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