季節のない歌/空の歌
「在りし日の歌」で
最後に読むことになったのは
「この小児」で、
詩集14番目に配されている作品です。
さて、みなさん!
この詩をどのように読みましたか?
理解できようができまいが
通しで読んで
何を感じましたか
1連目、
小児の、この、って、なんのこと
とか、
コボルト、って、いたずら好きな精霊が、
空を行き来している情景なのだろう
とかと、
読んでいれば、
それが、この詩を読んでいるということの
実際ですから、
そのほかに
詩の読みようなんて
ないのです。
コボルト小僧たちが
空を行き交っていると
野原には
青白い顔の
この子ども一人。
空が掻き曇って
黒いすじを引いたようになって
この子どもは泣いて
涙を搾り出したよ
銀(色)の涙だった
このあたりで、
この小児、とは、
詩人その人の幼少の姿であることが
見えてきます
涙を搾らなければならない
子ども。
原因は定かではないけれど
黒い雲が空に線を引く
明るくはない
不吉ともいえる何かが起こったから
泣いたのでしょう
コボルトと遊んでいるうちは
よかった
まだ幸せだった
地球が二つに割れればいい
そして、割れた半分は
西洋かどっかに
旅行にでも行っちゃってしまえばいい
そうすりゃ
私、と、ここで、
この小児は、
私=詩人として登場し
もう片方の地球に
腰掛けて、ゆったりして
青い空をばかり
眺めたりして……
詩を歌って暮らすさ
きらきら輝く花崗岩や
海辺の空や
お寺の屋根や
海の果て……などを
歌うのさ
(つづく)
*
この小児
コボルト空に往交(ゆきか)へば、
野に
蒼白の
この小児。
黒雲空にすぢ引けば、
この小児
搾(しぼ)る涙は
銀の液……
地球が二つに割れゝばいい、
そして片方は洋行すればいい、
すれば私はもう片方に腰掛けて
青空をばかり――
花崗の巌(いはほ)や
浜の空
み寺の屋根や
海の果て……
*コボルト Kobold(独) ドイツの伝説に現れる鉱山の地霊。または、いたずら好きな家の精。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
*編者注 原作第3連第2行の「もう片方」には、傍点が付されてあります。
« 月の歌<1-2>もう一つの「湖上」 | トップページ | 季節のない歌/空の歌2 »
「0001はじめての中原中也」カテゴリの記事
- <再読>時こそ今は……/彼女の時の時(2011.06.13)
- <再読>生ひ立ちの歌/雪で綴るマイ・ヒストリー(2011.06.12)
- <再読>雪の宵/ひとり酒(2011.06.11)
- <再読>修羅街輓歌/あばよ!外面(そとづら)だけの君たち(2011.06.10)
- <再読> 秋/黄色い蝶の行方(2011.06.09)
コメント