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2009年2月11日 (水)

詩の入り口について/ためいき<6>

ピョートル大帝の目玉、とは何か?
ここでは、歴史を研究しているのではありません
ピョートル大帝は、
18世紀ロシアの絶対君主で、
身長が2メートルほどあったといわれる巨体……
この歴史的人物が、
なぜ、「ためいき」に登場するのでしょうか?
なぜ、目玉、なのでしょうか?

最終連は、
起承転結の結のはずですから
ここで、ためいきの行方が
はっきり見えることになるのですが
それが、
ピョートル大帝の目玉が、
雲の中で光っている
で、終わるのですから、

ためいきにとって、ピョートル大帝の目玉、とは何か?

ということになります。

1行目の、
イナゴの瞳、の対照として
ピョートル大帝の目玉、が現れているのですから、
イナゴとピョートル大帝は対立語といえるかもしれません。

空が曇り、
というのは、
状況が悪化し、困難なときがくれば、
という意味でしょうから、
小心なイナゴたちは砂の中に隠れてしまうが
ピョートル大帝のような絶対権力者の目玉は
雲のただ中に在って、
びくともしないで、光り輝いているばかりだ

最終連を
このように読むことができますが、
ためいきは、どこへ行ったのか
イナゴとためいきの関係、
ピョートル大帝とためいきの関係は、
どのようなものかが
新たな問いとして現れます。

そもそも
ためいき、とは、
何か、といえば、
詩人の、嘆息、吐息……であり、
詩そのもののことととるのが自然です。
倦怠、閑寂、むなしさなどの流れの
中原中也の詩のテーマの一群に
この、ためいきはあり、
ここで
それを歌っているのですから
それは、詩そのものです。

その、詩=ためいきは、
どこへ行ったのでしょうか
第1連で、
夜の沼へ行ったためいき、
第2連で、
百姓の引く荷車の音のようであったためいき、
第3連で、
松に見守られている私……

最終連では、
イナゴの瞳へ行き
ピョートル大帝の目玉へ行った、
ということになり、
詩人のためいきは
イナゴの瞳のように、
砂土の中にいるものなのか、
ピョートル大帝の目玉のように、
雲の中で光っているものなのか
……

ここで、もう一度、
ためいきにとって、イナゴの瞳、とは何か?
ためいきにとって、ピョートル大帝の目玉、とは何か?
と、問うことにして、
ずっと、問い続けることを
答にしておきます。

このような解釈が、
もはや迷路に入っていることを
示しているのかもしれませんから。

(つづく)

 *
 ためいき
   河上徹太郎に

ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

*瘴気 熱病を起させる毒気。
*ピョートル大帝 ロシア皇帝ピョートル一世(1672—1724)。西欧文化を積極的に取り入れ、絶対主義帝政を確立した。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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