詩の入り口について/ためいき<8>
「ためいき」は、
チェホフあたりの風物を日本の田園に翻訳して得たものに違いない。
とか、
この舞台は正しくロシアの平原のノスタルジアである。
とかと、
胸のすくような、
意表を衝くような読みが
どのようにして可能なのか。
これは、やはり、
中原中也という詩人と生の交流があり、
手紙などの言葉のやりとりもあり、
なおかつ、
詩というものを理解できる感性……
そして知性もあるような友人にしか
言えないコメントではないでしょうか。
こう、言われてしまうと
ああ、そうだそうだ、
どうも、日本離れした匂いが漂っている
などと、
かすかに異国のイメージを抱いたものの正体を
言い当てられたようで
妙に納得がいくものです。
詩を贈られた
本人である河上徹太郎が
作品としての、その詩へ、
オマージュを返した、
ということなのですが
それが、単に、
一個の詩へのオマージュにとどまらず、
「日本のアウトサイダー」の
起点になるような批評へと
展開していくのですから
ただごとではありません。
音楽でいったらアンダンティーノ八分の六拍子とでもいいたいリズムの揺れ方は無類である。
このあたりからはじまる
オマージュは、
この舞台は正しくロシアの平原のノスタルジアである。
というあたりから、
ライナー・マリア・リルケを引き合いにして
どうやら
カトリック詩人としての
中原中也を描くことに向かっていきますが、
ここでは
そんなこともどうでもいいことにします。
ここでは
「ためいき」の読みだけが関心の的(まと)です。
その読みは、
「日本のアウトサイダー」所収の
「中原中也」にあり、
河上徹太郎が昭和34年(1959年)に刊行したものです。
その中の
「ためいき」に関わるコメントだけを
ここに、引用しておきます。
わかりやすくするために
改行や行空きを加えてあります。
(以下引用)
(略)従って中原のイメージは決して生得環境的なものではなくて、いわば教養的なものである。
例えば彼は時の文学青年の常として十九世紀のロシア文学に負う所が多いが、
次の私に親しい詩も実はチェホフあたりの風物を日本の田園に翻訳して得たものに違いない。
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。
夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。
野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。……
これは「ためいき」という彼が二十歳の時の詩だが、この、音楽でいったらアンダンティーノ八分の六拍子とでもいいたいリズムの揺れ方は無類である。
ここにあって可見のイメージはすべて手なずけられて、一律に戦いでいる。
ほとんど風景の書割だけで出来ているような、こんな叙情的な詩は中原の全作品の中で珍しいのである。
ところで、この舞台は正しくロシアの平原のノスタルジアである。(以下略)
(つづく)
*
ためいき
河上徹太郎に
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。
夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。
野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。
空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。
*瘴気 熱病を起させる毒気。
*ピョートル大帝 ロシア皇帝ピョートル一世(1672―1724)。西欧文化を積極的に取り入れ、絶対主義帝政を確立した。
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)
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