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2009年2月10日 (火)

詩の入り口について/ためいき<5>

第2連も、
ためいきはなほ深くして、
と、3行目にあるように、
第1連とつながっていまして、
夜の沼の風景は、
夜が明けて、
広々とした風景
地平線の見える風景へと変わりますが、
時が経過し
風景も変わったのだけれど
ためいきは深まっています。

しかし、視界がパッと開けます。
窓を開けると、地平線が見え、
荷車を引いた百姓が、
この百姓というのは、
詩人自らのことでありましょう、
百姓が、町の方へ、
懸命に、荷車を引いていく姿があり、
しんどそうに
ときおり、深いためいきをつきます。
そのためいきは、ほんとうに深いもので
まるで丘にぶつかって反響する
荷車の音のようです。

実際に、地平線が見える広い野原がどこか
そんなことは特定しなくてよいでしょうが
たとえばロシアの平原であってもかまいません
昭和初期の東京杉並や世田谷や中野や……だって
広々とした武蔵野の風景がありました
夜が明けても、なお
ためいきは百姓=詩人の口を漏れ
町へ行けば、きっとなにか
ためいきをまぎらわすこともあるかもしれない

第3連になって
百姓の姿は消え、
私が登場します。
百姓は、私=詩人のことだったのです。
ということは
ためいきの主体も
私=詩人ということです

町へ向かう百姓=私=詩人を
松の木が、サポートしてくれるでしょう
どんなふうにサポートしてくれるかというと
あっさり、しつこくなく、さりげなく
笑って、小馬鹿にしたりしない
肉親である、おじさんのように、です。
それは、まるで、
神様が、空気の層の底で、
魚を捕まえているように、
あますところなく、
ぬかりなく、
ゆきとどいていることでしょう。

最終連は、難解というべきか……。
それとも、醍醐味といべきか……。

詩人は
ピョートル大帝を
どのようにイメージしているのか
それを判断する材料は
この詩の中にしかなく、
それゆえ、
この詩へのまったく異なった読みが生じるほどの
分岐点となります。

百姓は、まだ、
町へ向かう野原の道にいます。
空がかき曇ったら
イナゴたちは、いっせいに、砂の中にもぐり込み、
雨を避ける体勢です。
石造建築で密集する、
遠くの町が、俄然、石灰のように白っぽくなりました。
雲の中で
ピョートル大帝の、
いかめしい目玉がギラギラと光っている

ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

この断定が利いています。
夜の沼にはじまる
ためいきの運命が
雲の中で光る大帝の目玉によって
にらみつけられていて、
いっそ、すがすがしい!

(つづく)

 *
 ためいき
   河上徹太郎に
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

*瘴気 熱病を起させる毒気。
*ピョートル大帝 ロシア皇帝ピョートル一世(1672―1724)。西欧文化を積極的に取り入れ、絶対主義帝政を確立した。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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