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2009年2月 2日 (月)

詩の入り口について/汚れつちまつた悲しみに……

「山羊の歌」は
「初期詩篇」
「少年時」
「みちこ」
「秋」
「羊の歌」
という五つの「章」に分けられ、

「在りし日の歌」も、
「在りし日の歌」
「永訣の秋」
という二つの「章」に分けられています。

章を立てることによって
詩人は、
その章ごとに共通するもの、
それをテーマと呼んでいいかは別として、
一括りにすることができる要素を
見出していたに違いありません。

これは
読者にとって、
重要な手がかりです。
詩の入り口に立つ者が
詩(集)の中へ入っていく時の
頼りがいのある目印です。
このような目印が
たくさんあれば
詩は読みやすく
詩の中へ入ってゆくことは
もう少し容易かもしれませんが
そうはいきません。

詩は
詩であることの要請から
説明というものを極力排するものですし、
そのことによって
普遍的であろうとするものが
詩であるから、
詩は詩の説明をしません。
制作年時さえ、
詩は詩の中に
許さないのが普通です。

詩は、
この他にも
さまざまな理由で
詩以外を解釈の手がかりにしないような仕掛けをもっていますが
そのことによって
多様な味わい方が生まれるのを助けてもいます。

「汚れつちまつた悲しみに……」のような詩が
読まれる時や場所や状況や時代や……
読む人の年齢や世代や性別や職業や……
……
さまざまな条件を越えてしまって
読まれ続けるのは
一つには
この普遍性、
この詩を説明するものは
この詩以外にない、という、
普遍性(=作品)があるからです。

(つづく)

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」より)

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