詩の入り口について/凄じき黄昏<1>
捲き起る、風も物憂き頃ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とほ)き昔の隼人(はやと)等を。
これは、「山羊の歌」の中の
「凄まじき黄昏」という詩の
第1連です。
中原中也は、
書物とか歴史とかの「教養的なもの」から
1篇の詩を歌いあげることを
一つの詩法としていたことは
いくつかの例もあることですから、
まちがいはなく、
「ためいき」を
その詩法で作った作品という見方を
否定するものはありません。
と、記しながら、
この「凄じき黄昏」という作品が
思い出されていました。
この詩を読んだときの
苦闘がよみがえり、
「ためいき」を作っている詩人の視線と
「凄じき黄昏」を作っている詩人の視線は
どこかしら似ているものを
感じたのであります。
それは、
どこからくるのでしょうか。
ためいきは夜の沼へゆき、と、
捲き起る、風も物憂き頃ながら、という、
始まり方が、似ています。
二つの詩は、前ぶれもなく、
突如、読者を状況に投げ出す感じです。
いきなり、読者はその中にいますが、
その中とはどこか、
どこにいるのだろう、と
訝(いぶか)しがらざるを得ない状況です。
ここは、どこ? って感じになります。
詩人が
立っている場所が
イメージしにくい、というか、
どこか現実離れした感じがあり、
一瞬、どこにいるのかが
わからないのです。
「凄まじき黄昏」で、
詩人は、広々とした草原を眼下に見ている、
とすれば、それは、
芭蕉が、夏草やつわものどもが夢の跡、
と、詠んだような、
古戦場跡にでも立っているのだろうか、と
それをイメージしてみるのですが、
どうも、そこに実際立っているとは
感じにくいものがあります。
その理由を、
「中原中也のイメージは教養的なもの」と、
河上徹太郎のように
とらえられるのなら、
この「凄じき黄昏」も、
リアリズム(写実)ではなく、
詩人は、
その場所に、実際には、おらず、
歴史で学んだ事象を
詩作品に歌ったのではないか、と
考えられもしてくるのです。
風がビュービュー吹き
いい加減、うんざりするほどに吹き止まない
草々は横倒しに吹きつけられるままだ
こうも荒涼とした風景につつまれては
自ずと遠き時代の薩摩隼人らの
戦が思いだされる。
薩摩隼人の戦、
という「教養」から
この詩は出発しているようです。
薩摩隼人の歴史を繙(ひもと)けば
たとえば、
豊後の大友宗麟との戦いで、
何千人もの死者を出した
薩摩の行軍の様子が
浮かんできます。
(つづく)
*
凄じき黄昏
捲き起る、風も物憂き頃ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とほ)き昔の隼人(はやと)等を。
銀紙(ぎんがみ)色の竹槍の、
汀(みぎは)に沿ひて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。
吹く風誘はず、地の上の
敷きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。
家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿す。
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」角川文庫クラシックスより」
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