カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 「朝の歌」以外の朝の歌 | トップページ | 生前発表詩篇の中の朝の歌 »

2009年3月17日 (火)

中也の詩のわかりやすさ

その詩が
朝という時間帯を歌ったものである、
ということを示す詩句を抜き出してみれば
なんと!
12篇中の2篇を例外として
10篇が
第1連もしくはタイトルの中にある、
ということを発見しました。

「朝の歌」は
第3連の、

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

「臨終」は、
第3連の、

窓際に髪を洗へば
その腕の優しくありぬ
  朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
  水の音したたりてゐぬ

で、朝の歌と判明しますが、

その他の朝の歌は、
すべて、第1連またはタイトルに、
朝を指示する詩句があります。

作品の冒頭部に
その詩の「時」を示した
詩人の律儀さを思わずにはいられません。

中原中也の詩が
わかりやすく、
親しみやすい、
ということの
一つのわけが
ここにある
ということを示すもの
であるかもしれません。

逆の意味で、
「朝の歌」や「臨終」は
基本から踏み出して
いわば「技巧」を凝らして作られた作品、
といえるのかもしれません。

多くの作品が
基本に忠実な作り方だからといって
技巧に欠ける、
とは、ただちにはいえませんが、
「朝の歌」「臨終」の完成度が
抜きん出ている、と
しばしば評されるのは
このあたりの事情にもあろうかと思われます。

以下に
朝という「時」を示した
第1連の詩句だけを
記します。

秋の一日

こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍(わだち)との音によつて、
サイレンの棲む海に溺れる。 

悲しき朝

河瀬の音が山に来る、
春の光は、石のやうだ。
筧(かけひ)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(をうな)にさも肖(に)てる。

宿酔

朝、鈍い日が照つてて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

修羅街輓歌
      関口隆克に
 1 酔生

私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
私の青春も過ぎた。

青い瞳

1 夏の朝

かなしい心に夜が明けた、
  うれしい心に夜が明けた、
いいや、これはどうしたといふのだ?
  さてもかなしい夜の明けだ!

2 冬の朝

それからそれがどうなつたのか……
それは僕には分らなかつた
とにかく朝霧罩(こ)めた飛行場から
機影はもう永遠に消え去つてゐた。

春は土と草とに新しい汗をかゝせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空に隲(あが)る。
瓦屋根今朝不平がない、
長い校舎から合唱は空にあがる。

冬の明け方

残んの雪が瓦に少なく固く
枯木の小枝が鹿のやうに睡(ねむ)い、
冬の朝の六時
私の頭も睡い。

秋の消息

麻は朝、人の肌(はだへ)に追い縋(すが)り
雀らの、声も硬うはなりました
煙突の、煙は風に乱れ散り

曇天

 ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
 はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

« 「朝の歌」以外の朝の歌 | トップページ | 生前発表詩篇の中の朝の歌 »

0001はじめての中原中也」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 中也の詩のわかりやすさ:

« 「朝の歌」以外の朝の歌 | トップページ | 生前発表詩篇の中の朝の歌 »