絶望的な朝空/かなしみ<2>
乱暴な言い方に受け取られるかもしれませんが、
はなだ色の空(「朝の歌」)も
藍(あい)の色の空(「かなしみ」)も
青は藍より出でて藍より青し、のように
違う青ですが、
限りなく同じ色に近い青で、
どちらも
悲しみの色ではあります。
にもかかわらず、
「朝の歌」には、
何かしら、希望のようなもの
光状のものが散りばめられているのに
「かなしみ」は
絶望の深みばかりを歌います。
文語七五調であることによって
それは、さらに強調されます。
これでもか、これでもかと
かなしみは深まってゆくばかり……。
終わりの方の
うちつづくこの悲しみの、なつかしくはては不安に、幼な児ばかりいとほしくして、はやいかな生計(なりはひ)の力もあらず此の朝け、祈る祈りは朝空よ、
この、幼な児、は、だれ?
生まれたての長男文也?
死んだ長男文也?
それとも、
生まれたばかりの次男の愛雅(よしまさ)?
それとも、幼児一般を表現したもの?
はやいかな生計(なりはひ)の力もあらず此の朝け、
とは、
そんなにも暮らしが成り立っていなかったのか
「四季」や「文学界」への旺盛な発表がありながら
詩で食っていく、ということが
どんなにか、大変なことであるか
不可能なことであるか
山口へ帰る決意は
この詩が作られたころには
芽生えていたのでしょうか。
この詩が発表されたのは
昭和12年(1937年)の「四季」2月号ですから、
このころには
帰郷の心があったのでしょうか。
「在りし日の歌」原稿を
小林秀雄に託す日までは
そんなに遠いことではなさそうです。
*
かなしみ
白き敷布のかなしさよ夏の朝明け、なほ仄暗(ほのぐら)い一室に、時計の音〈おと〉のしじにする。
目覚めたは僕の心の悲しみか、世に慾呆(よくぼ)けといふけれど、夢もなく手仕事もなく、何事もなくたゞ沈湎(ちんめん)の一色に打続く僕の心は、悲しみ呆けといふべきもの。
人笑ひ、人は囁き、人色々に言ふけれど、青い卵か僕の心、何かかはらうすべもなく、朝空よ! 汝(なれ)は知る僕の眼(まなこ)の一瞥(いちべつ)を。フリュートよ、汝(なれ)は知る、僕の心の悲しみを。
朝の巷(ちまた)や物音は、人の言葉は、真白き時計の文字板に、いたづらにわけの分らぬ条(すぢ)を引く。
半ば困乱(こんらん)しながらに、瞶(みは)る私の聴官よ、泌(し)みるごと物を覚えて、人竝(ひとなみ)に物え覚えぬ不安さよ、悲しみばかり藍(あい)の色、ほそぼそとながながと朝の野辺空の涯(はて)まで、うちつづくこの悲しみの、なつかしくはては不安に、幼な児ばかりいとほしくして、はやいかな生計(なりはひ)の力もあらず此の朝け、祈る祈りは朝空よ、野辺の草露、汝(なれ)等呼ぶ淡(あは)き声のみ、咽喉(のど)もとにかそかに消ゆる。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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