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2009年3月23日 (月)

青山二郎への献呈詩/月下の告白

東京・四谷区(現新宿区)花園のアパートで
繰り広げられた文学談義、芸術論議の
中心にいたのは
青山二郎です。

中原中也は
小林秀雄河上徹太郎らを通じて
青山二郎を知ったのですが、
難航していた「山羊の歌」の
出版社の決定を促したり、
中也が生前に手にすることのなかった
「在りし日の歌」の装丁を引き受けるなど、
中也に有益な役割を演じたとして
読者の前に登場します。

その青山二郎に献じた詩が
「月下の告白」で
「草稿詩篇(1933ー1936年)」に収められ、
1934年10月20日の日付があります。
1931年(昭和6年)に亡くなった
弟洽三を歌った作品です。

大岡昇平の「在りし日の歌」は
亡弟・洽三を歌った作品は

「ポロリポロリと死んでゆく」
「疲れやつれた美しい顔」
「死別の翌日」
「梅と弟」
「蝉」
「秋岸清涼居士」
「月下の告白」

とあり、
「霊」に語りかける、これらの歌は、
やがて、
詩人自らの死後の姿に呼びかける
「骨」へとつながってゆくもの、
という解釈を打ち出して、
「在りし日の歌」を
解きほぐす糸口にしています。

(つづく)

 *
 月下の告白
    青山二郎に

劃然(かくぜん)とした石の稜(りよう)
あばた面(づら)なる墓の石
蟲鳴く秋の此の夜さ一と夜
月の光に明るい墓場に
エジプト遺跡もなんのその
いとちんまりと落居(おちい)てござる
この僕は、生きながらへて
此の先何を為すべきか
石に腰かけ考へたれど
とんと分らぬ、考へともない
足の許(もと)なる小石や砂の
月の光に一つ一つ
手にとるやうにみゆるをみれば
さてもなつかしいたはししたし
さてもなつかしいたはししたし
  (一九三四・一〇・二〇)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)                                

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