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2009年3月 3日 (火)

詩の入り口について/凄じき黄昏<6>

「白痴群」全6号に載った
中原中也の作品は
全部で24篇あります。
これは、詩集「山羊の歌」の全作品44篇の
半分以上です。
「白痴群」が、
中原中也という詩人にとって
いかに重要であったかを
端的に物語る事実です。

にもかかわらず、
僚友・大岡昇平が
以下のように記しているのは
気になりますし、変な感じがします。

結局「白痴群」六号を通じて、見るべきものは「寒い夜の自我像」「「修羅街輓歌」等中原の中期の重要な詩篇と、河上の「ヴェルレーヌの愛国詩」、阿部六郎の小説「放たれたバラバ」、それから河上が訳載したヴァレリイ「レオナルド・ダ・ヴィンチ序説」ぐらいなものであったといっても、当時の同人から不服は出ないものと思う。(「朝の歌」所収「白痴群」より引用)

同人から不服は出ない、というのは
中也がいないのだから、
中也から不服が出ることを想定しておらず
中也の詩の評価を
あらかじめ除外しての感想であって
それは公平ではない感じがあり
大岡昇平にしてはというか
大岡昇平だからというか
変!です。

見るべきものは「寒い夜の自我像」「「修羅街輓歌」等中原の中期の重要な詩篇

と、大岡は「等」の中に
どれほどの評価を込めているか
あまり評価していない感じがあります。

「ためいき」への河上徹太郎の評価や
大岡自らも「夕照」などへの
評価があることを考えると、
「重要な詩篇」とは、
詩作品への評価ではなく、
評伝を書くにあたって「重要」
と言っているに過ぎないようで
変です。

要するに
大岡昇平は
「白痴群」に文学作品としては
高い評価を与えなかったのですし、
そのことは理解できるにしても、
「山羊の歌」の半分以上を占める
「白痴群」への中也の発表作品の中の
「寒い夜の自我像」「「修羅街輓歌」等、
しか評価しなかったのです。

「白痴群」に中原中也が発表した全作品のタイトルを
再び載せておきます。
名作、傑作が
たくさんあります。

創刊号 昭和4年4月
    「寒い夜の自我像」
    「詩友に」
第2号 昭和4年7月
    「秋の一日」
    「深夜の思ひ」
    「凄じき黄昏」
    「夕照」
    「ためいき」
第3号 昭和4年9月
    「木蔭」
    「夏」
第4号 昭和4年11月
    「心象」
第5号 昭和5年1月
    「冬の雨の夜」
    「みちこ」
    「修羅街輓歌」
第6号 昭和5年4月
    「盲目の秋」
    「わが喫煙」
    「妹よ」
    「寒い夜の自画像」
    「失せし希望」
    「汚れつちまつた悲しみに……」
    「無題」
    「更くる夜」
    「雪の宵」
    「生ひたちの歌」
    「時こそ今は……」
「中原中也必携」(吉田凞生編、学燈社)調べ。

 *
 凄じき黄昏

捲き起る、風も物憂き頃ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とほ)き昔の隼人(はやと)等を。

銀紙(ぎんがみ)色の竹槍の、
汀(みぎは)に沿ひて、つづきけり。
--雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘はず、地の上の
敷きある屍(かばね)--
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿す。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」角川文庫クラシックスより)

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