梅雨と弟/「少女の友」に発表した詩
「少女の友」という雑誌の
復刻版が、1号分だけですが、
もうすぐ刊行になるそうです。
アマゾン・コムの案内では、
「少女の友」は、
川端康成、吉屋信子、中原中也らが筆をふるい、
若き中原淳一が表紙画家として活躍したことで知られ、
明治41(1908)年に創刊、
昭和30(1955)年の終刊まで48年間続いた月刊誌。
その中の記事から
昭和10年代を中心にピックアップし、
5つのセクションに分け
1は、口絵
2は、小説、漫画、詩
3は、中原淳一の全表紙66点
4は、昭和初期の女の子たちに世界を教えた教養読みもの
5は、毎号付いていた付録を20ページで紹介する。
この他に、
作家・田辺聖子らのスペシャルインタビュー・エッセイや、
特別読みものなどで再構成している。
現代でいえば、
1960-70年代に、
「少年ジャンプ」などの漫画週刊誌が、
熱狂的な支持を受けて読まれた
のに似た現象かな(?)
この雑誌に
中原中也が載せた作品を
探したら、
とりあえず一つ見つかりました。
「少女の友」昭和12年(1937)8月号に載った
と、大岡昇平が「在りし日の歌」(1966)に記す
「梅雨と弟」は、
昭和6年(1931)に亡くなった弟洽三を歌った作品です。
昭和12年8月号とは、
中也の亡くなったのがこの年の10月ですから
この詩が活字になったのを見届けて
まもなく、亡くなった、ということになります。
*
梅雨と弟
毎日々々雨が降ります
去年の今頃梅の実を持って遊んだ弟は
去年の秋に亡くなつて
今年の梅雨(つゆ)にはゐませんのです
お母さまが おつしやいました
また今年も梅酒をこさはうね
そしたらまた来年の夏も飲物があるからね
あたしはお答へしませんでした
弟のことを思ひ出してゐましたので
去年梅酒をこしらふ時には
あたしがお手伝ひしてゐますと
弟が来て梅を放つたり随分と邪魔をしました
あたしはにらんでやりましたが
あんなことをしなければよかつたと
今ではそれを悔んでをります……
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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