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2009年3月12日 (木)

悲しみ呆けの青空/かなしみ

昭和12年(1937)はじめに
詩人は、千葉県にある中村古峡療養所へ
入院します。
そこで
診察の材料にしたのか
日記を書くことを求められ、
「療養日誌」を残します。
この「療養日誌」の中に、
「悲しみ呆け」の一語が見られることは
広く知られていることです。

散文詩「かなしみ」に現れる「悲しみ呆け」は
「療養日誌」以前に書かれたものでしょうか
それとも、同じ時期または以後のものでしょうか

悲しみばかりの多かった詩人が
真正面から
かなしみを歌っている。
ストレートに
かなしみを歌っているのは
長男文也の死に会い
それまでこうむってきた全てのかなしみ
平仮名(ひらがな)で「かなしみ」
と言わざるを得ない悲しみを
数え上げ、
そのすべて吐き出したかったからではありませんか。

散文詩の形で歌っているから
余計に、
ありのままに
なりふりかまっていられずに、
かなしみを歌っているように感じられますし、
ありのままを歌うためには散文詩が求められた、
ともいえるでしょうか。

夏の朝の歌です。
「朝の歌」と同じ朝の歌で、
はなだ色の空(「朝の歌」)が
悲しみばかり藍(あい)の色、と
空の色が変わったように見えても
青はあくまで青で
変わっておらず、
いずれも
青い空が目に染みるようです
読者の目にも染みてきます。

にもかかわらず、

目覚めたは僕の心の悲しみか
青い卵か僕の心、何かかはらうすべもなく、朝空よ!

この2行をはじめとする
詩の全体には
「朝の歌」の気分とは異なるものがあります。

 

 *
 かなしみ

 白き敷布のかなしさよ夏の朝明け、なほ仄暗(ほのぐら)い一室に、時計の音〈おと〉のしじにする。
 目覚めたは僕の心の悲しみか、世に慾呆(よくぼ)けといふけれど、夢もなく手仕事もなく、何事もなくたゞ沈湎(ちんめん)の一色に打続く僕の心は、悲しみ呆けといふべきもの。
 人笑ひ、人は囁き、人色々に言ふけれど、青い卵か僕の心、何かかはらうすべもなく、朝空よ! 汝(なれ)は知る僕の眼(まなこ)の一瞥(いちべつ)を。フリュートよ、汝(なれ)は知る、僕の心の悲しみを。
 朝の巷(ちまた)や物音は、人の言葉は、真白き時計の文字板に、いたづらにわけの分らぬ条(すぢ)を引く。
 半ば困乱(こんらん)しながらに、瞶(みは)る私の聴官よ、泌(し)みるごと物を覚えて、人竝(ひとなみ)に物え覚えぬ不安さよ、悲しみばかり藍(あい)の色、ほそぼそとながながと朝の野辺空の涯(はて)まで、うちつづくこの悲しみの、なつかしくはては不安に、幼な児ばかりいとほしくして、はやいかな生計(なりはひ)の力もあらず此の朝け、祈る祈りは朝空よ、野辺の草露、汝(なれ)等呼ぶ淡(あは)き声のみ、咽喉(のど)もとにかそかに消ゆる。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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