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2009年3月 6日 (金)

散文詩「北沢風景」の青い空

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

と、歌った「朝の歌」から
何年経ったことだろうか?

散文詩「北沢風景」で、

 僕は出掛けた。僕は酒場にゐた。僕はしたたかに酒をあほつた。翌日は、おかげで空が真空だつた。真空の空に鳥が飛んだ。

と、歌った詩人の「青い空」は
変わったろうか?

いや、変わっていない。

杉並か、
中野か、
豊島か
渋谷か、
世田谷か
大田か……

いずれも
東京の西の方の
中也が住んだことがあって、
下町とは違った
武蔵野の雰囲気のある
青い空の感じがあります。

昨夜、東森と下北沢で飲みながら
近くの豪徳寺のバーで
詩人は友人としこたま飲んで
帰宅した夜11時ころ、
弟洽三の訃報(ふほう)に接した、という
大岡昇平の記述を思い出していました。

10月23日、小田急沿線豪徳寺のバアで友人と大酔し、11時すぎ千駄ヶ谷の下宿に帰ったところへ、死亡を知らせる電報が届いた。
(大岡昇平「在りし日の歌」より)

中也が、近くにいるなあ、と
感じます。

「北沢風景」の北沢は、
いまの、上北沢のことらしいのですが、
上北沢とて、下北沢かそんなに遠くはありませんし、
世田谷のうちです。

台所の入り口からは
北東の空が見える
田園風景が広がっていました。

 *
 北沢風景

 夕べが来ると僕は、台所の入口の敷居の上で、使ひ残りのキャベツを軽く、鉋丁の腹で叩いてみたりするのだつた。

 台所の入口からは、北東の空が見られた。まだ昼の明りを残した空は、此処台所から四五丁の彼方に、すすきの叢(むら)があることも思ひ出させはせぬのであつた。

 ——嘗て思索したといふこと、嘗て人前で元気であつたといふこと、そして今も希望はあり、そして今は台所の入口から空を見てゐるだけだといふこと、車を挽いて百姓はさもジツクリと通るのだし、——着物を着換へて市内へ向けて、出掛けることは臆怯であるし、近くのカフヱーには汚れた卓布と、飾鏡(かざりかゞみ)とボロ蓄音器、要するに腎臓疲弊に資する所のものがあるのであるし、感性過剰の斯の如き夕べには、これから落付いて、研鑽にいそしむことも難いのであるし、隣家の若い妻君は、甘ッたれ声を出すのであるし、……

 僕は出掛けた。僕は酒場にゐた。僕はしたたかに酒をあほつた。翌日は、おかげで空が真空だつた。真空の空に鳥が飛んだ。

 扨、悔恨とや……十一月の午後三時、空に揚つた凧ではないか? 扨、昨日(きんのふ)の夕べとや、鴫が鳴いてたといふことではないか?

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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0001はじめての中原中也」カテゴリの記事

コメント

これ引用します。


一般に、女中風情に興味はないという男があるなら、それで損をするのは、女中さんたちよりも、むしろそういう男なのだ。女中さんたちの色とりどりな軍勢こそ、ほんとに、わがデンマークの有するもっともすばらしい市民軍なのだ。もしぼくが国王だったら──何をすればいいか、ぼくはちゃんとわきまえているつもりだ──ぼくは常備軍の閲兵などはおこなわないだろう。もしぼくが市の三十二人の議員の一人なら、即座に公安委員会の設置を提案して、視察したり、相談にのったり、熱心に教えたり、しかるべき褒賞をあたえたりして、装いが趣味豊かで注意のよくゆきとどいたものになるよう、女中さんたちの督励に万全の策を講じさせるだろう。どうして美を浪費してよいものか、どうして美しいものを、一生人目につかせずに終わらせてよいものか、せめて週に一度ぐらいは、光を浴びさせて、美しく際だたせてやりたいものではないか!しかし、それには何より、豊かな趣味が、節度が必要だ。女中が淑女のような服装をしてはいけない。この点では、“ポリティヴェンネン”誌の主張は正しいが、尊敬すべき同誌があげている理由は全く間違っている。このようにして女中階級がいつか望ましい花をひらいてくれることを期待することができるとすれば、それは、やがてまた、われわれの家庭の子女に有益な影響をあたえることになろうというものではないか?それとも、ぼくが、このようにして、真に無比ともいえるほどのデンマークの将来を予見するのは、大胆にすぎるであろうか?幸いにしてぼく自身、そのような黄金時代に生きてめぐりあうことができるなら、日がな一日、心安らかに、大通りや横町をさまよいあるき、目をたのしませることもできるというものだ。これはまた、ぼくの思いは、なんと遠くまで、なんと大胆に、そしてなんと愛国的に、空想をはせたことだろう!しかし、ぼくもやはりここフレーアリクスベルクに出かけてきているのである、ここは、日曜日の午後に女中さんたちがやってくるし、ぼくも出かけるところなのだ。


             -------セーレン・キルケゴール

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