カテゴリー

2023年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

« 「青山学院」時代の中原中也/月下の告白<3> | トップページ | 大岡昇平の「月下の告白」論 »

2009年3月28日 (土)

「秋岸清凉居士」と「月下の告白」の謎

中原中也が青山二郎に
献じた詩「月下の告白」に関する
大岡昇平の記述を、
もう少し、こだわって
見ておきましょう。

「月下の告白」はおそらく前夜の青山としたなにかの議論の返事として書かれたものであろう。この頃小林秀雄に「お前が怠け者になるのもならないのも今が境ふだ」といわれたという記事が、安原宛の手紙にあるから(二月十日附)そんな話だったかもしれない。

と、大岡昇平は、
中也の評伝の一つである「在りし日の歌」の6に記しました。
これに続けて、

中原の詩稿としては珍しく、固苦しい楷書で書かれている。同じ日に書いて、筐底にしまっておいたのは、次のような道化歌である。

と書き、「秋岸清凉居士」を、
「改行なしの送り文(一部略)」で引用しているのです。
そして、続けて、次のような批評を加えています。

こういう道化た調子も中原の生得のものであった。「はた君が果たされぬ憧憬であるかも知れず」という句には、世の馬鹿者向けの邪悪な姿勢が現れている。

こんな読みができるのは
詩人の近くにいた友人であるからであって
素朴な読者には
到底、思い及ばない解釈ですね。

とりあえず、ここで、
「秋岸清凉居士」を
角川ソフィア文庫の「中原中也全詩集」から
引いておきます。
「月下の告白」と同じ日、
(一九三四・一〇・二〇)と、
詩の末尾に付されていますから、
「月下の告白」もあわせて
読んでみてください。

「月下の告白」の謎は
まだまだ残っています。
というより、
ますます深まるばかりです。
まだうまく書けていませんので
もう少し、こだわります。
(つづく)
 *
 秋岸清凉居士
消えていつたのは、
あれはあやめの花ぢやろか?
いいえいいえ、消えていつたは、
あれはなんとかいふ花の紫の莟(つぼ)みであつたぢやろ
冬の来る夜に、省線の
遠音とともに消えていつたは
あれはなんとかいふ花の紫の莟みであつたぢやろ
     ※
とある侘(わ)びしい踏切のほとり
草は生え、すゝきは伸びて
その中に、
焼木杭(やけぼつくひ)がありました
その木杭に、その木杭にですね、
月は光を灑(そそ)ぎました
木杭は、胡麻塩頭の塩辛声(しよつかれごえ)の、
武家の末裔(はて)でもありませうか?
それとも汚ないソフトかぶつた
老ルンペンででもありませうか
風は繁みをさやがせもせず、
冥府(あのよ)の温風(ぬるかぜ)さながらに
繁みの前を素通りしました
繁みの葉ッパの一枚々々

伺ふやうな目付して、

こつそり私を瞶(みつ)めてゐました
月は半月(はんかけ)  鋭く光り
でも何時もより
可なり低きにあるやうでした
蟲(むし)は草葉の下で鳴き、
草葉くぐつて私に聞こえ、
それから月へと昇るのでした
ほのぼのと、煙草吹かして懐(ふところ)で、
手を暖(あつた)めてまるでもう
此処(ここ)が自分の家のやう
すつかりと落付きはらひ路の上(へ)に
ヒラヒラと舞ふ小妖女(フエアリー)に
だまされもせず小妖女(フエアリー)を、
見て見ぬ振りでゐましたが
やがてして、ガツクリとばかり
口開(あ)いて後ろに倒れた
頸(うなじ) きれいなその男
秋岸清涼居士といひ——僕の弟、
月の夜とても闇夜ぢやとても
今は此の世に亡い男
今夜侘びしい踏切のほとり
腑抜(ふぬけ)さながら彳(た)つてるは
月下の僕か弟か
おほかた僕には違ひないけど
死んで行つたは、
——あれはあやめの花ぢやろか
いいえいいえ消えて行つたは、
あれはなんとかいふ花の紫の莟ぢやろ
冬の来る夜に、省線の
遠音とともに消えていつたは
あれはなんとかいふ花の紫の莟か知れず
あれは果されなかつた憧憬に窒息しをつた弟の
弟の魂かも知れず
はた君が果されぬ憧憬であるかも知れず
草々も蟲の音も焼木杭も月もレ−ルも、
いつの日か手の掌(ひら)で揉んだ紫の朝顔の花の様に
揉み合はされて悉皆(しつかい)くちやくちやにならうやもはかられず
今し月下に憩(やす)らへる秋岸清凉居士ばかり
歴然として一基の墓石
石の稜(りょう) 劃然(かくぜん)として
世紀も眠る此の夜さ一と夜
——蟲が鳴くとははて面妖(めんよう)な
エヂプト遺蹟もかくまでならずと
首を捻(ひね)つてみたが何
ブラリブラリと歩き出したが
どつちにしたつておんなしことでい
さてあらたまつて申上まするが
今は三年の昔の秋まで在世
その秋死んだ弟が私の弟で
今ぢや秋岸清凉居士と申しやす、ヘイ。
 *
 月下の告白
    青山二郎に
劃然(かくぜん)とした石の稜(りよう)
あばた面(づら)なる墓の石
蟲鳴く秋の此の夜さ一と夜
月の光に明るい墓場に
エジプト遺跡もなんのその
いとちんまりと落居(おちい)てござる
この僕は、生きながらへて
此の先何を為すべきか
石に腰かけ考へたれど
とんと分らぬ、考へともない
足の許(もと)なる小石や砂の
月の光に一つ一つ
手にとるやうにみゆるをみれば
さてもなつかしいたはししたし
さてもなつかしいたはししたし
  (一九三四・一〇・二〇)
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

« 「青山学院」時代の中原中也/月下の告白<3> | トップページ | 大岡昇平の「月下の告白」論 »

0001はじめての中原中也」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「秋岸清凉居士」と「月下の告白」の謎:

« 「青山学院」時代の中原中也/月下の告白<3> | トップページ | 大岡昇平の「月下の告白」論 »