カテゴリー

2023年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

« 散文詩「北沢風景」の青い空 | トップページ | お調子もの嫌いの歌/幻想 »

2009年3月 9日 (月)

リンカーンと同宿する詩人/幻想

Byfreezr03
By freezr

    「四季」昭和12年2月号に載せた
4篇の散文詩の一つ「幻想」は
エイブラハム・リンカーンと私が
郊外の小さなホテル=瓢亭で
一夜を過ごす、
という内容の奇抜な作品です。

夢を見たのでしょうか。
それにしても
アメリカの大統領と
ホテルで朝を迎えるなんて!
中也らしい突飛さです
シュール! シュール!

終わりの二人の会話が
何気ないようで
詩人が描きたかったこと
歌いたかったことが見えるようです。

「リンカンさん」
「なんですか」
「エヤアメールが揚つてゐます」
「ほんとに」

エアーメールは
エアーサインの混同でしょうか
それとも、詩人の時代には
「空の手紙」という言い方が
通用していたのでしょうか

中也の詩にいくつか現れる
広告気球とかアドバルーンのこととるのが自然です。

 *
  幻 想

 草には風が吹いてゐた。
 出来たてのその郊外の駅の前には、地均機械(ローラー・エンジン)が放り出されてあつた。そのそばにはアブラハム・リンカン氏が一人立つてゐて、手帳を出して何か書き付けてゐる。
(夕陽に背を向けて野の道を散歩することは淋しいことだ。)
「リンカンさん」、私は彼に話しかけに近づいた。
「リンカンさん」
「なんですか」
 私は彼のチョッキやチョッキの釦(ボタン)や胸のあたりを見た。
「リンカンさん」
「なんですか」
 やがてリンカン氏は、私がひとなつつこさのほか、何にも持合はぬのであることをみてとつた。
 リンカン氏は駅から一寸行つた処の、畑の中の一瓢亭に私を伴つた。
 我々はそこでビールを飲んだ。
 夜が来ると窓から一つの星がみえた。
 女給が去り、コックが寝、さて此の家には私達二人だけが残されたやうであつた。
 すつかり夜が更けると、大地は、此の瓢亭(ひようてい)が載つかつてゐる地所だけを残して、すつかり陥没してしまつてゐた。
 帰る術(すべ)もないので私達二人は、今夜一夜を此処に過ごさうといふことになつた。
 私は心配であつた。
 しかしリンカン氏は、私の顔を見て微笑(ほほえ)むでゐた、「大丈夫(ダイジヨブ)ですよ」
 毛布も何もないので、私は先刻から消えてゐたストーブを焚付けておいてから寝ようと思つたのだが、十能も火箸もあるのに焚付(たきつけ)がない。万事諦めて私とリンカン氏とは、卓子(テーブル)を中に向き合つて、頬肘(ほおひじ)をついたまゝで眠らうとしてゐた。電燈は全く明るく、残されたビール瓶の上に光つてゐた。

 目が覚めたのは八時であつた。空は晴れ、大地はすつかり旧に復し、野はレモンの色に明(あか)つてゐた。
 コックは、バケツを提げたまま裏口に立つて誰かと何か話してゐた。女給は我々から三米(メートル)ばかりの所に、片足浮かして我々を見守つてゐた。
「リンカンさん」
「なんですか」
「エヤアメールが揚つてゐます」
「ほんとに」

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

*原作品は、「ひとなつつこさ」に傍点が付されています。

« 散文詩「北沢風景」の青い空 | トップページ | お調子もの嫌いの歌/幻想 »

0001はじめての中原中也」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: リンカーンと同宿する詩人/幻想:

« 散文詩「北沢風景」の青い空 | トップページ | お調子もの嫌いの歌/幻想 »