リンカーンと同宿する詩人/幻想
By freezr
「四季」昭和12年2月号に載せた
4篇の散文詩の一つ「幻想」は
エイブラハム・リンカーンと私が
郊外の小さなホテル=瓢亭で
一夜を過ごす、
という内容の奇抜な作品です。
夢を見たのでしょうか。
それにしても
アメリカの大統領と
ホテルで朝を迎えるなんて!
中也らしい突飛さです
シュール! シュール!
終わりの二人の会話が
何気ないようで
詩人が描きたかったこと
歌いたかったことが見えるようです。
「リンカンさん」
「なんですか」
「エヤアメールが揚つてゐます」
「ほんとに」
エアーメールは
エアーサインの混同でしょうか
それとも、詩人の時代には
「空の手紙」という言い方が
通用していたのでしょうか
中也の詩にいくつか現れる
広告気球とかアドバルーンのこととるのが自然です。
*
幻 想
草には風が吹いてゐた。
出来たてのその郊外の駅の前には、地均機械(ローラー・エンジン)が放り出されてあつた。そのそばにはアブラハム・リンカン氏が一人立つてゐて、手帳を出して何か書き付けてゐる。
(夕陽に背を向けて野の道を散歩することは淋しいことだ。)
「リンカンさん」、私は彼に話しかけに近づいた。
「リンカンさん」
「なんですか」
私は彼のチョッキやチョッキの釦(ボタン)や胸のあたりを見た。
「リンカンさん」
「なんですか」
やがてリンカン氏は、私がひとなつつこさのほか、何にも持合はぬのであることをみてとつた。
リンカン氏は駅から一寸行つた処の、畑の中の一瓢亭に私を伴つた。
我々はそこでビールを飲んだ。
夜が来ると窓から一つの星がみえた。
女給が去り、コックが寝、さて此の家には私達二人だけが残されたやうであつた。
すつかり夜が更けると、大地は、此の瓢亭(ひようてい)が載つかつてゐる地所だけを残して、すつかり陥没してしまつてゐた。
帰る術(すべ)もないので私達二人は、今夜一夜を此処に過ごさうといふことになつた。
私は心配であつた。
しかしリンカン氏は、私の顔を見て微笑(ほほえ)むでゐた、「大丈夫(ダイジヨブ)ですよ」
毛布も何もないので、私は先刻から消えてゐたストーブを焚付けておいてから寝ようと思つたのだが、十能も火箸もあるのに焚付(たきつけ)がない。万事諦めて私とリンカン氏とは、卓子(テーブル)を中に向き合つて、頬肘(ほおひじ)をついたまゝで眠らうとしてゐた。電燈は全く明るく、残されたビール瓶の上に光つてゐた。
目が覚めたのは八時であつた。空は晴れ、大地はすつかり旧に復し、野はレモンの色に明(あか)つてゐた。
コックは、バケツを提げたまま裏口に立つて誰かと何か話してゐた。女給は我々から三米(メートル)ばかりの所に、片足浮かして我々を見守つてゐた。
「リンカンさん」
「なんですか」
「エヤアメールが揚つてゐます」
「ほんとに」
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
*原作品は、「ひとなつつこさ」に傍点が付されています。
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