生前発表詩篇の中の朝の歌
朝を歌った詩を
朝の歌、と呼ぶなら
朝の歌は、公刊詩集以外の
生前発表詩篇や
未発表詩篇の中にもあります。
生前発表詩篇の中の
朝の歌をながめておきます。
「かなしみ」を含めて
5作品が見つかります。
「夏の明方(あけがた)年長妓(としま)が歌つた」は、
第1連に、
うたひ歩いた揚句の果は
空が白むだ、夏の暁(あけ)だよ
「秋を呼ぶ雨」は、1の第1連、
秋を告げる雨は、夜明け前に降り出して、
窓が白む頃、鶏の声はそのどしやぶりの中に起つたのです。
散文詩「かなしみ」は、
冒頭行に、
白き敷布のかなしさよ夏の朝明け、なほ仄暗(ほのぐら)い一室に、時計の音〈おと〉のしじにする。
「雨の朝」は、
詩句としての朝はありません。
タイトルそのものに朝はあるだけです。
「夏」は、
めずらしく、終連に、
とある朝、僕は死んでゐた。
とあり、
詩人は死んでしまいます。
*
夏の明方(あけがた)年長妓(としま)が歌つた
――小竹の女主人(ばばあ)に捧ぐ
うたひ歩いた揚句の果は
空が白むだ、夏の暁(あけ)だよ
随分馬鹿にしてるわねえ
一切合切(いつさいがつさい)キリガミ細工
銹(さ)び付いたやうなところをみると
随分鉄分には富んでるとみえる
林にしたつて森にしたつて
みんな怖(お)づ怖づしがみついてる
夜露が下りてゐるとこなんぞ
だつてま、しほらしいぢやあないの
棄(す)てられた紙や板切れだつて
あんなに神妙、地面にへたばり
植えられたばかりの苗だつて
ずいぶんつましく風にゆらぐ
まるでこつちを見向きもしないで
あんまりいぢらしい小娘みたい
あれだつて都に連れて帰つて
みがきをかければなんとかならうに
左程々々(さうさう)こつちもかまつちやられない
――随分馬鹿にしてるわねえ
うたひ歩いた揚句の果は
空が白むで、夏の暁(あけ)だと
まるでキリガミ細工ぢやないか
昼間(ひるま)は毎日あんなに暑いに
まるでぺちやんこぢやあないか
*
秋を呼ぶ雨
1
畳の上に、灰は撒(ま)き散らされてあつたのです。
僕はその中に、蹲(うずく)まつたり、坐つたり、寝ころんだりしてゐたのです。
秋を告げる雨は、夜明け前に降り出して、
窓が白む頃、鶏の声はそのどしやぶりの中に起つたのです。
僕は遠い海の上で、警笛を鳴らしてゐる船を思ひ出したりするのでした。
その煙突は白く、太くつて、傾いてゐて、
ふてぶてしくもまた、可憐なものに思へるのでした。
沖の方の空は、煙つてゐて見えないで。
僕はもうへとへとなつて、何一つしようともしませんでした。
純心な恋物語を読みながら、僕は自分に訊〈(たず)〉ねるのでした、
もしかばかりの愛を享(う)けたら、自分も再び元気になるだらうか?
かばかりの女の純情を享けたならば、自分にもまた希望は返つて来るだらうか?
然し……と僕は思ふのでした、おまへはもう女の愛にも動きはしまい、
おまへはもう、此の世のたよりなさに、いやといふ程やつつけられて了つたのだ!
2
弾力も何も失くなつたこのやうな思ひは、
それを告白してみたところで、つまらないものでした。
それを告白したからとて、さつぱりするといふやうなこともない、
それ程までに自分の生存はもう、けがらはしいものになつてゐたのです。
それが嘗(かつ)て欺かれたことの、私に残した灰燼(かいじん)のせゐだと決つたところで、
僕はその欺かれたことを、思ひ出しても、はや憤りさへしなかつたのです。
僕はたゞ淋しさと怖れとを胸に抱いて、
灰の撒き散らされた薄明の部屋の中にゐるのでした。
そしてたゞ時々一寸(ちよつと)、こんなことを思ひ出すのでした。
それにしてもやさしくて、理不尽でだけはない自分の心には、
雨だつて、もう少しは怡(たの)しく響いたつてよからう…………
それなのに、自分の心は、索然と最後の壁の無味を甞(な)め、
死なうかと考へてみることもなく、いやはやなんとも
隠鬱なその日その日を、糊塗してゐるにすぎないのでした。
3
トタンは雨に洗はれて、裏店の逞しいおかみを想はせたりしました。
それは酸つぱく、つるつるとして、尤(もつと)も、意地悪でだけはないのでした。
雨はそのおかみのうちの、箒(ほうき)のやうに、だらだらと降続きました。
雨はだらだらと、だらだらと、だらだらと降続きました。
瓦は不平さうでありました、含まれるだけの雨を含んで、
それは怒り易い老地主の、不平にも似てをりました。
それにしてもそれは、持つて廻つた趣味なぞよりは、
傷み果てた私の心には、却(かえつ)て健康なものとして映るのでした。
もはや人の癇癖(かんぺき)なぞにも、まるで平気である程に僕は伸び朽ちてゐたのです。
尤も、嘘だけは癪(しやく)に障(さわ)るのでしたが…………
人の性向を撰択するなぞといふことももう、
早朝のビル街のやうに、何か兇悪な逞しさとのみ思へるのでした。
——僕は伸びきつた、ゴムの話をしたのです。
だらだらと降る、微温の朝の雨の話を。
ひえびえと合羽(かつぱ)に降り、甲板(デツキ)に降る雨の話なら、
せめてもまだ、爽々(すがすが)しい思ひを抱かせるのに、なぞ思ひながら。
4
何処(どこ)まで続くのでせう、この長い一本道は。
嘗てはそれを、少しづつ片附けてゆくといふことは楽しみでした。
今や麦稈真田(ばつかんさなだ)を編むといふそのやうな楽しみも
残つてはゐない程、疲れてしまつてゐるのです。
眠れば悪夢をばかりみて、
もしそれを同情してくれる人があるとしても、
その人に、済まないと感ずるくらゐなものでした。
だつて、自分で諦めきつてゐるその一本道…………。
つまり、あらゆる道徳(モラリテ)の影は、消えちまつてゐたのです。
墓石のやうに灰色に、雨をいくらでも吸ふその石のやうに、
だらだらとだらだらと、降続くこの不幸は、
もうやむものとも思へない、秋告げるこの朝の雨のやうに降るのでした。
5
僕の心が、あの精悍(せいかん)な人々を見ないやうにと、
そのやうな祈念をしながら、僕は傘さして雨の中を歩いてゐた。
*
かなしみ
白き敷布のかなしさよ夏の朝明け、なほ仄暗(ほのぐら)い一室に、時計の音〈おと〉のしじにする。
目覚めたは僕の心の悲しみか、世に慾呆(よくぼ)けといふけれど、夢もなく手仕事もなく、何事もなくたゞ沈湎(ちんめん)の一色に打続く僕の心は、悲しみ呆けといふべきもの。
人笑ひ、人は囁き、人色々に言ふけれど、青い卵か僕の心、何かかはらうすべもなく、朝空よ! 汝(なれ)は知る僕の眼(まなこ)の一瞥(いちべつ)を。フリュートよ、汝(なれ)は知る、僕の心の悲しみを。
朝の巷(ちまた)や物音は、人の言葉は、真白き時計の文字板に、いたづらにわけの分らぬ条(すぢ)を引く。
半ば困乱(こんらん)しながらに、瞶(みは)る私の聴官よ、泌(し)みるごと物を覚えて、人竝(ひとなみ)に物え覚えぬ不安さよ、悲しみばかり藍(あい)の色、ほそぼそとながながと朝の野辺空の涯(はて)まで、うちつづくこの悲しみの、なつかしくはては不安に、幼な児ばかりいとほしくして、はやいかな生計(なりはひ)の力もあらず此の朝け、祈る祈りは朝空よ、野辺の草露、汝(なれ)等呼ぶ淡(あは)き声のみ、咽喉(のど)もとにかそかに消ゆる。
*
雨の朝
(麦湯は麦を、よく焦がした方がいいよ。)
(毎日々々、よく降りますですねえ。)
(インキはインキを、使つたらあと、栓〈(せん)〉をしとかなけあいけない。)
(ハイ、皆さん大きい声で、一々(いんいち)が一(いち)…)
上草履は冷え、
バケツは雀の声を追想し、
雨は沛然〈(はいぜん)〉と降つてゐる。
(ハイ、皆さん御一緒に、一二(いんに)が二(に)……)
校庭は煙雨〈けぶ〉つてゐる。
——どうして学校といふものはこんなに静かなんだらう?
——家(うち)ではお饅ぢうが蒸(ふ)かせただらうか?
ああ、今頃もう、家ではお饅ぢうが蒸かせただらうか?
*<編注> 原作では、パーレンが二重になっています。
*
夏
僕は卓子の上に、
ペンとインキと原稿紙のほかになんにも載せないで、
毎日々々、いつまでもジッとしてゐた。
いや、そのほかにマッチと煙草と、
吸取紙くらゐは載つかつてゐた。
いや、時とするとビールを持つて来て、
飲んでゐることもあつた。
戸外では蝉がミンミン鳴いていた
風は岩にあたつて、ひんやりしたのがよく吹込んだ。
思ひなく、日なく月なく時は過ぎ、
とある朝、僕は死んでゐた。
卓子に載つてゐたわづかの品は、
やがて女中によつて瞬く間に片附けられた。
──さつぱりとした。さつぱりとした。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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