弟洽三の死を悼んだ7篇の詩
1931年(昭和6年)に亡くなった
弟洽三を悼んだ作品、
と、大岡昇平が「在りし日の歌」で
列挙している7作品、
「ポロリ、ポロリと死んでゆく」
「疲れやつれた美しい顔」
「死別の翌日」
「梅雨と弟」
「蝉」
「秋岸清凉居士」
「月下の告白」
その全部を載せておきます。
*
ポロリ、ポロリと死んでゆく
俺の全身(ごたい)よ、雨に濡れ、
富士の裾野に倒れたれ
読人不詳
ポロリ、ポロリと死んでゆく。
みんな別れてしまふのだ。
呼んだつて、帰らない。
なにしろ、此の世とあの世とだから叶はない。
今夜にして、僕はやつとこ覚るのだ、
白々しい自分であつたこと。
そしてもう、むやみやたらにやりきれぬ、
(あの世からでも、僕から奪へるものでもあつたら奪つてくれ)
それにしてもが過ぐる日は、なんと浮はついてゐたことだ。
あますなきみじめな気持である時も、
随分いい気でゐたもんだ。
(おまへの訃報に遇ふまでを、浮かれてゐたとはどうもはや。)
風が吹く、
あの世も風は吹いてるか?
熱にほてつたその頬に、風をうけ、
正直無比な目を以つて、
おまへは私に話したがつているのかも知れない……
——その夜、私は目を覚ます。
障子は破れ、風は吹き、
まるでこれでは戸外に寝ているも同然だ。
それでも僕はかまはない。
それでも僕はかまはない。
どうなつたつてかまはない。
なんで文句を云ふものか……
*
疲れやつれた美しい顔
疲れやつれた美しい顔よ、
私はおまへを愛す。
さうあるべきがよかつたかも知れない多くの元気な顔たちの中に、
私は容易におまへを見付ける。
それはもう、疲れしぼみ、
悔とさびしい微笑としか持つてはをらぬけれど、
それは此の世の親しみのかずかずが、
縺れ合ひ、香となつて蘢る壺なんだ。
そこに此の世の喜びの話や悲しみの話は、
彼のためには大きすぎる声で語られ、
彼の瞳はうるみ、
語り手は去つてゆく。
彼が残るのは、十分諦めてだ。
だが諦めとは思はないでだ。
その時だ、その壺が花を開く、
その花は、夜の部屋にみる、三色菫(さんしきすみれ)だ。
*
死別の翌日
生きのこるものはづうづうしく、
死にゆくものはその清純さを漂はせ
物云いたげな瞳を床にさまよはすだけで、
親を離れ、兄弟を離れ、
最初から独りであつたもののやうに死んでゆく。
さて、今日は良いお天気です。
街の片側は翳り(かげり)、片側は日射しをうけて、あつたかい
けざやかにもわびしい秋の午前です。
空は昨日までの雨に拭はれて、すがすがしく、
それは海の方まで続いてゐることが分ります。
その空をみながら、また街の中をみながら、
歩いてゆく私はもはや此の世のことを考へず、
さりとて死んでいつたもののことも考へてはゐないのです。
みたばかりの死に茫然(ぼうぜん)として、
卑怯にも似た感情を抱いて私は歩いてゐたと告白せねばなりません。
*
梅雨と弟
毎日々々雨が降ります
去年の今頃梅の実を持って遊んだ弟は
去年の秋に亡くなつて
今年の梅雨(つゆ)にはゐませんのです
お母さまが おつしやいました
また今年も梅酒をこさはうね
そしたらまた来年の夏も飲物があるからね
あたしはお答へしませんでした
弟のことを思ひ出してゐましたので
去年梅酒をこしらふ時には
あたしがお手伝ひしてゐますと
弟が来て梅を放つたり随分と邪魔をしました
あたしはにらんでやりましたが
あんなことをしなければよかつたと
今ではそれを悔んでをります……
*
蝉
蝉が鳴いてゐる、蝉が鳴いてゐる
蝉が鳴いてゐるほかになんにもない!
うつらうつらと僕はする
……風もある……
松林を透いて空が見える
うつらうつらと僕はする。
『いいや、さうぢゃない、さうぢゃない!』と彼が云ふ
『ちがつてゐるよ』と僕が云ふ
『いいや、いいや!』と彼が云ふ
「ちがつてゐるよ』と僕が云ふ
と、目が覚める、と、彼はとつくに死んだ奴なんだ
それから彼の永眠してゐる、墓場のことなぞ目に浮ぶ……
それは中国のとある田舎の、水無河原(みづなしがはら)といふ
雨の日のほか水のない
伝説付の川のほとり、
藪蔭の土砂帯の小さな墓場、
——そこにも蝉は鳴いてゐるだろ
チラチラ夕陽も射してゐるだろ……
蝉が鳴いてゐる、蝉が鳴いてゐる
蝉が鳴いてゐるほかなんにもない!
僕の怠惰?僕は『怠惰』か?
僕は僕を何とも思はぬ!
蝉が鳴いてゐる、蝉が鳴いてゐる
蝉が鳴いてゐるほかなんにもない!
*
秋岸清凉居士
消えていつたのは、
あれはあやめの花ぢやろか?
いいえいいえ、消えていつたは、
あれはなんとかいふ花の紫の莟(つぼ)みであつたぢやろ
冬の来る夜に、省線の
遠音とともに消えていつたは
あれはなんとかいふ花の紫の莟みであつたぢやろ
※
とある侘(わ)びしい踏切のほとり
草は生え、すゝきは伸びて
その中に、
焼木杭(やけぼつくひ)がありました
その木杭に、その木杭にですね、
月は光を灑(そそ)ぎました
木杭は、胡麻塩頭の塩辛声(しよつかれごえ)の、
武家の末裔(はて)でもありませうか?
それとも汚ないソフトかぶつた
老ルンペンででもありませうか
風は繁みをさやがせもせず、
冥府(あのよ)の温風(ぬるかぜ)さながらに
繁みの前を素通りしました
繁みの葉ッパの一枚々々
伺ふやうな目付して、
こつそり私を瞶(みつ)めてゐました
月は半月(はんかけ) 鋭く光り
でも何時もより
可なり低きにあるやうでした
蟲(むし)は草葉の下で鳴き、
草葉くぐつて私に聞こえ、
それから月へと昇るのでした
ほのぼのと、煙草吹かして懐(ふところ)で、
手を暖(あつた)めてまるでもう
此処(ここ)が自分の家のやう
すつかりと落付きはらひ路の上(へ)に
ヒラヒラと舞ふ小妖女(フエアリー)に
だまされもせず小妖女(フエアリー)を、
見て見ぬ振りでゐましたが
やがてして、ガツクリとばかり
口開(あ)いて後ろに倒れた
頸(うなじ) きれいなその男
秋岸清涼居士といひ——僕の弟、
月の夜とても闇夜ぢやとても
今は此の世に亡い男
今夜侘びしい踏切のほとり
腑抜(ふぬけ)さながら彳(た)つてるは
月下の僕か弟か
おほかた僕には違ひないけど
死んで行つたは、
——あれはあやめの花ぢやろか
いいえいいえ消えて行つたは、
あれはなんとかいふ花の紫の莟ぢやろ
冬の来る夜に、省線の
遠音とともに消えていつたは
あれはなんとかいふ花の紫の莟か知れず
あれは果されなかつた憧憬に窒息しをつた弟の
弟の魂かも知れず
はた君が果されぬ憧憬であるかも知れず
草々も蟲の音も焼木杭も月もレ−ルも、
いつの日か手の掌(ひら)で揉んだ紫の朝顔の花の様に
揉み合はされて悉皆(しつかい)くちやくちやにならうやもはかられず
今し月下に憩(やす)らへる秋岸清凉居士ばかり
歴然として一基の墓石
石の稜(りょう) 劃然(かくぜん)として
世紀も眠る此の夜さ一と夜
——蟲が鳴くとははて面妖(めんよう)な
エヂプト遺蹟もかくまでならずと
首を捻(ひね)つてみたが何
ブラリブラリと歩き出したが
どつちにしたつておんなしことでい
さてあらたまつて申上まするが
今は三年の昔の秋まで在世
その秋死んだ弟が私の弟で
今ぢや秋岸清凉居士と申しやす、ヘイ。
*
月下の告白
青山二郎に
劃然(かくぜん)とした石の稜(りよう)
あばた面(づら)なる墓の石
蟲鳴く秋の此の夜さ一と夜
月の光に明るい墓場に
エジプト遺跡もなんのその
いとちんまりと落居(おちい)てござる
この僕は、生きながらへて
此の先何を為すべきか
石に腰かけ考へたれど
とんと分らぬ、考へともない
足の許(もと)なる小石や砂の
月の光に一つ一つ
手にとるやうにみゆるをみれば
さてもなつかしいたはししたし
さてもなつかしいたはししたし
(一九三四・一〇・二〇)
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
« 青山二郎への献呈詩/月下の告白 | トップページ | 青山二郎との談論/月下の告白<2> »
「0001はじめての中原中也」カテゴリの記事
- <再読>時こそ今は……/彼女の時の時(2011.06.13)
- <再読>生ひ立ちの歌/雪で綴るマイ・ヒストリー(2011.06.12)
- <再読>雪の宵/ひとり酒(2011.06.11)
- <再読>修羅街輓歌/あばよ!外面(そとづら)だけの君たち(2011.06.10)
- <再読> 秋/黄色い蝶の行方(2011.06.09)
コメント