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2009年4月20日 (月)

「曇天」までのいくつかの詩<13>誘蛾燈詠歌-4

と、つまり死なのです、死だけが解決なのです

 

この1行の読みを
どうするか、が、
「誘蛾燈詠歌」の読みを左右します。

 

あたかも、
死の讃歌であるかに誤解する向きが
生じないともいえない
この1行は,
この1行を単独で解釈しようとするときに
陥りやすいワナですが、

 

第1章、第2章と、
分かちがたく連続している
作品というものの全体性から
視点を外さない限り、
間違えることはないでしょう。

 

暗い荒野に
(誘蛾灯を灯すように)
娑婆の暮らしが営まれるのは、
義理堅く、刹那的とさえいえるのですが、
その暮らしの中には
皮肉もあれば、意地悪もあり
虚栄もあれば、衒いもあり、
義理あり、人情あり、心労あり、希望あり、
ありとあらゆる善悪あり、
なんでもあるのです。

 

同列に置きがたいことを
同列に置くところが
面白いところというか、
中也一流でして、
なんでもが行われるところが娑婆だ、
という表現なのですが、
中に、希望が入っていることに
注目したいですね。

 

おほけなき、は
大胆である、という原義から、
器が大きいとか、
容量が大きい、とか
なんでもあるのです、といった
意味が込められています。

 

子どもを育てるというのも
この娑婆の中でのことで
考えれば考え尽きないのですが、
通りから青年団のラッパの音などが聞こえてくると、
銀河(=死の世界)のことを思っているだけで
胸がいっぱいになっているのに、
その上に、
国を守る義務
村を守る義務だなんて聞こえてくると
驚くばかりです。

 

詩人には、
青年団のラッパに、
戦争の足音が
聞こえています。
反戦の意思を
中原中也は、
このように表現するのです。
このようにしか表現しないのです。

 

この詩が、完成すれば
「春日狂想」にも並ぶ大作に
なったかもしれません。
完成間近でありながら
おおよその構想は
感じ取ることができる
スケールの大きい作品です。

 

 *
 誘蛾燈詠歌

 

   1

 

ほのかにほのかに、ともつてゐるのは
これは一つの誘蛾燈、稲田の中に
秋の夜長のこの夜さ一と夜、ともつてゐるのは
誘蛾燈、ひときは明るみひときはくらく
銀河も流るるこの夜さ一と夜、稲田の此処(ここ)に
ともつてゐるのは誘蛾燈、だあれも来ない
稲田の中に、ともつてゐるのは誘蛾燈
たまたま此処に来合せた者が、見れば明るく
ひときは明るく、これより明るいものとてもない
夕べ誰(た)が手がこれをば此処に、置きに来たのか知る由もない
銀河も流るる此の夜さ一夜、此処にともるは誘蛾燈

 

   2

 

と、つまり死なのです、死だけが解決なのです
それなのに人は子供を作り、子供を育て
ここもと此処(娑婆しゃば)だけを一心に相手とするのです
却々(なかなか)義理堅いものともいへるし刹那的(せつなてき)とも考へられます
暗い暗い曠野(こうや)の中に、その一と所に灯をばともして
ほのぼのと人は暮しをするのです、前後(あとさき)の思念もなく
扨(さて)ほのぼのと暮すその暮しの中に、皮肉もあれば意地悪もあり
虚栄もあれば衒(てら)ひ気もあるといふのですから大したものです
ほのぼのと、此処だけ明るい光の中に、親と子とそのいとなみと
義理と人情と心労と希望とあるといふのだからおほけなきものです
もともとはといへば終局の所は、案じあぐむでも分らない所から
此処は此処だけで一心にならうとしたものだかそれとも、
子供は子供で現に可愛いから可愛がる、従つて
その子はまたその子の子を可愛がるといふふうになるうちに
入籍だの誕生の祝ひだのと義理堅い制度や約束が生じたのか
その何れであるかは容易に分らず多分は後者の方であらうにしても
如何(いか)にも私如き男にはほのかにほのかに、ここばかり明(あか)る此の娑婆といふものは
なにや分らずたゞいぢらしく、夜べに聞く青年団の
喇叭(らっぱ)練習の音の往還に流れ消えてゆくを
銀河思ひ合せて聞いてあるだに感じ強うて精一杯で
その上義務だの云はれてははや驚くのほかにすべなく
身を挙げて考へてのやうやくのことが、
ほのぼのとほのぼのとここもと此処ばかり明る灯(ともし)ともして
人は案外義理堅く生活といふことしか分らない
そして私は青年団練習の喇叭を聞いて思ひそぞろになりながら
而も(しかも)義理と人情との世のしきたりに引摺(ひきず)られつつびつくりしてゐる

 

   3

 

          あをによし奈良の都の

 

それではもう、僕は青とともに心中しませうわい
くれなゐだのイエローなどと、こちや知らんことだわい
流れ流れつ空をみて赤児の脣(くち)よりなほ淡(あは)く
空に浮かれて死んでゆこか、みなさんや
どうか助けて下されい、流れ流れる気持より
何も分らぬわたくしは、少しばかりは人様なみに
生きてゐたいが業(ごふ)のはじまり、かにかくにちよつぴりと働いては
酒を飲み、何やらかなしく、これこのやうにぬけぬけと
まだ生きてをりまして、今宵小川に映る月しだれ柳や
いやもう難有(ありがと)うて、耳ゴーと鳴つて口きけませんだぢやい

 

   4

 

          やまとやまと、やまとはくにのまほろば…………  

 

何云ひなはるか、え?あんまり責めんといてくれやす
責めはつたかてどないなるもんやなし、な
責めんといとくれやす、何も諛(へつら)ひますのやないけど
あてこないな気持になるかて、あんたかて
こないな気持にならはることかてありますやろ、そやないか?
そらモダンもええどつしやろ、しかし柳腰もええもんですえ?

 

     (あゝ、そやないかァ)
     (あゝ、そやないかァ)

 

   5 メルヘン

 

寒い寒い雪の曠野の中でありました
静御前と金時は親子の仲でありました
すげ笠は女の首にはあまりに大きいものでありました
雪の中ではおむつもとりかへられず
吹雪は瓦斯(ガス)の光の色をしてをりました

 

   *

 

或るおぼろぬくい春の夜でありました
平の忠度(ただのり)は木の下に駒をとめました
かぶとは少しく重過ぎるのでありました
そばのいささ流れで頭の汗を洗ひました、サテ
花や今宵の主(あるじ)ならまし
        (一九三四・一二・一六)

 

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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