「曇天」までのいくつかの詩<11>誘蛾燈詠歌-2
「誘蛾燈詠歌」の1で
歌われている誘蛾灯は、
夕べ誰(た)が手がこれをば此処に、置きに来たのか知る由もない
と、あるように、
手運びのできる、
木製の装置であったようです。
農薬の普及する前は
ほとんどの米作り農家が使い、
害虫対策の道具にしていたそうです。
光源は
電気だったのでしょうか
火だったのでしょうか
稲田にあり、
秋の夜長の一夜、
銀河の見える澄んだ夜空、
真っ暗闇に、皓々と、そこだけ明るい
誘蛾灯の灯が灯(とも)っているのです。
灯りに誘われて
集まってくる
虫たちの、
賑やかながら
はなかい乱舞……。
祭のようでもあり、
まるで、人生がここにある、とでも
詩人は感じ取ったのでしょうか。
生命・生存の秘密とかを
感じ取ったのでしょうか。
生のうらはらにある死を
感じ取ったのでしょうか。
と、つまり死なのです、死だけが解決なのです
の、と、とは、
というように、とか
いま見てきたように、とかの意味で、
前を受けていることは
明らかです。
詩人は
銀河を背景にして誘蛾灯の灯る光景に
生と死のメタファーを
見たのです。
生(死)のシンボル
といってもいいかもしれません。
それは
世の中の人々が
なんの疑念を抱くこともなく
行っている日々の暮らしの
その1断面であり、
その全体でもあります。
誘蛾灯は
人の営みそのものであり
そこには、
人の生と死のすべてが
凝縮されてあります。
(つづく)
*
誘蛾燈詠歌
1
ほのかにほのかに、ともつてゐるのは
これは一つの誘蛾燈、稲田の中に
秋の夜長のこの夜さ一と夜、ともつてゐるのは
誘蛾燈、ひときは明るみひときはくらく
銀河も流るるこの夜さ一と夜、稲田の此処(ここ)に
ともつてゐるのは誘蛾燈、だあれも来ない
稲田の中に、ともつてゐるのは誘蛾燈
たまたま此処に来合せた者が、見れば明るく
ひときは明るく、これより明るいものとてもない
夕べ誰(た)が手がこれをば此処に、置きに来たのか知る由もない
銀河も流るる此の夜さ一夜、此処にともるは誘蛾燈
2
と、つまり死なのです、死だけが解決なのです
それなのに人は子供を作り、子供を育て
ここもと此処(娑婆しゃば)だけを一心に相手とするのです
却々(なかなか)義理堅いものともいへるし刹那的(せつなてき)とも考へられます
暗い暗い曠野(こうや)の中に、その一と所に灯をばともして
ほのぼのと人は暮しをするのです、前後(あとさき)の思念もなく
扨(さて)ほのぼのと暮すその暮しの中に、皮肉もあれば意地悪もあり
虚栄もあれば衒(てら)ひ気もあるといふのですから大したものです
ほのぼのと、此処だけ明るい光の中に、親と子とそのいとなみと
義理と人情と心労と希望とあるといふのだからおほけなきものです
もともとはといへば終局の所は、案じあぐむでも分らない所から
此処は此処だけで一心にならうとしたものだかそれとも、
子供は子供で現に可愛いから可愛がる、従つて
その子はまたその子の子を可愛がるといふふうになるうちに
入籍だの誕生の祝ひだのと義理堅い制度や約束が生じたのか
その何れであるかは容易に分らず多分は後者の方であらうにしても
如何(いか)にも私如き男にはほのかにほのかに、ここばかり明(あか)る此の娑婆といふものは
なにや分らずたゞいぢらしく、夜べに聞く青年団の
喇叭(らっぱ)練習の音の往還に流れ消えてゆくを
銀河思ひ合せて聞いてあるだに感じ強うて精一杯で
その上義務だの云はれてははや驚くのほかにすべなく
身を挙げて考へてのやうやくのことが、
ほのぼのとほのぼのとここもと此処ばかり明る灯(ともし)ともして
人は案外義理堅く生活といふことしか分らない
そして私は青年団練習の喇叭を聞いて思ひそぞろになりながら
而も(しかも)義理と人情との世のしきたりに引摺(ひきず)られつつびつくりしてゐる
3
あをによし奈良の都の
それではもう、僕は青とともに心中しませうわい
くれなゐだのイエローなどと、こちや知らんことだわい
流れ流れつ空をみて赤児の脣(くち)よりなほ淡(あは)く
空に浮かれて死んでゆこか、みなさんや
どうか助けて下されい、流れ流れる気持より
何も分らぬわたくしは、少しばかりは人様なみに
生きてゐたいが業(ごふ)のはじまり、かにかくにちよつぴりと働いては
酒を飲み、何やらかなしく、これこのやうにぬけぬけと
まだ生きてをりまして、今宵小川に映る月しだれ柳や
いやもう難有(ありがと)うて、耳ゴーと鳴つて口きけませんだぢやい
4
やまとやまと、やまとはくにのまほろば…………
何云ひなはるか、え?あんまり責めんといてくれやす
責めはつたかてどないなるもんやなし、な
責めんといとくれやす、何も諛(へつら)ひますのやないけど
あてこないな気持になるかて、あんたかて
こないな気持にならはることかてありますやろ、そやないか?
そらモダンもええどつしやろ、しかし柳腰もええもんですえ?
(あゝ、そやないかァ)
(あゝ、そやないかァ)
5 メルヘン
寒い寒い雪の曠野の中でありました
静御前と金時は親子の仲でありました
すげ笠は女の首にはあまりに大きいものでありました
雪の中ではおむつもとりかへられず
吹雪は瓦斯(ガス)の光の色をしてをりました
*
或るおぼろぬくい春の夜でありました
平の忠度(ただのり)は木の下に駒をとめました
かぶとは少しく重過ぎるのでありました
そばのいささ流れで頭の汗を洗ひました、サテ
花や今宵の主(あるじ)ならまし
(一九三四・一二・一六)
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
« 「曇天」までのいくつかの詩<10>誘蛾燈詠歌-1 | トップページ | 「曇天」までのいくつかの詩<12>誘蛾燈詠歌-3 »
「024「在りし日の歌」曇天へ」カテゴリの記事
- 「曇天」というエポック<2>(2009.05.13)
- 「曇天」というエポック(2009.05.12)
- 「曇天」までのいくつかの詩<25>我がヂレンマ(2009.05.12)
- 「曇天」までのいくつかの詩<24>寒い!(2009.05.12)
- 「曇天」までのいくつかの詩<23>「寒い!」と「我がヂレンマ」(2009.05.11)
« 「曇天」までのいくつかの詩<10>誘蛾燈詠歌-1 | トップページ | 「曇天」までのいくつかの詩<12>誘蛾燈詠歌-3 »
コメント