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2009年4月 8日 (水)

「曇天」までのいくつかの詩<5>山上のひととき

昭和9年(1934年)10月18日の
長男文也の誕生から、
11か月が経ちました。

 

(一九三五・九・一九)の日付のある
「山上のひととき」は、
「坊や」よりも「童女」に
近い日の制作でしょう、きっと。

 

「坊や」は、
生まれたての赤ん坊が
泣きやまない様子を歌いましたが、
「山上のひととき」と「童女」は
外気の下(もと)の赤ん坊です。
外(おんも)へ出られるだけ
成長したのです。

 

この二つの詩は
まるで姉妹作品です。

 

いたいけない乳児に
一つは、
ただひたすら
眠れ眠れ、と呼びかけ、
一つは、
ようやく笑うようになった乳児に
ひたすらやさしく
風が吹くさまを歌うのです。

 

そして、一つは、

 

皮肉ありげな生意気な、
奴等の顔のみえぬひま、と、

 

一つは、

 

世間はたゞ遥か彼方で荒くれてゐた、と、

 

この眠り、
この笑い、このやわらかい風の
対極にあるものの存在を示し、
この存在に
脅かされない状態の続くことを
歌うのです。

 

イノセンスとの
至福の時間を
脅かすものの存在……。
どちらの詩も
そういう構造で作られています。

 

 *
 山上のひととき

 

いとしい者の上に風が吹き
私の上にも風が吹いた

 

いとしい者はたゞ無邪気に笑つてをり
世間はたゞ遥か彼方で荒くれてゐた

 

いとしい者の上に風が吹き
私の上にも風が吹いた

 

私は手で風を追ひかけるかに
わづかに微笑み返すのだつた

 

いとしい者はたゞ無邪気に笑つてをり
世間はたゞ遥か彼方で荒くれてゐた
      (一九三五・九・一九)

 

(角川ソフィア文庫版「中原中也全詩集」より)

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