「曇天」というエポック
ここで、
「曇天」を
じっくり、
読んでおきましょう。
ある日の朝、
空は曇りで、
都会の、
瓦屋根の上の、
さらに向こうの高い所に、
黒い旗が
はためいているのを、
詩人は見ました。
ハタハタハタハタ
その黒い旗は
確かにはためいているのですが
高いところにあるので
音は聞こえてきません
でも、確かに、
はたはたはたはた……と、
音が聞こえるかのように
はためいているのです
ぼくは、手をさしのべて
旗を下ろそうとしたのですが
網もなく、そんなことできるわけがなく
旗は、ハタハタハタハタはためくばかりです
空の奥の奥に舞い入るように
はためいているだけでした
こんな朝が、ぼくの少年時代にもあったなあ
何度もあったなあ、と、ぼくは思い出す
あの時は、野原の上
今は、都会の瓦屋根の上
あの時と今と、時は隔たっているし、
こことあそこと、場所も違うけれど
ハタハタハタハタ
空にポツンと一人
まるで、あれは、ぼくがそこにいるかのように
今も昔も変わらないで
ハタハタハタハタ……
懸命にはためいている
黒い旗よ
スゴイぞ!スゴイぞ!
「曇天」は、
1936年(昭和11年)、
「改造」7月号に発表されました。
総合雑誌へ中原中也がデビューしたという
エポックメーキングな作品です。
「曇天」で、われわれは彼がようやく幻想を手なずけはじめた
のを知る
と、大岡昇平は、
この詩に
一定の評価を与えたのです。
*
曇天
ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。
手繰り 下ろさうと 僕は したが、
綱も なければ それも 叶(かな)はず、
旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処(おくが)に 舞ひ入る 如く。
かかる 朝(あした)を 少年の 日も、
屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶(おも)ふ。
かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。
かの時 この時 時は 隔つれ、
此処(ここ)と 彼処(かしこ)と 所は 異れ、
はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝(かは)らぬ かの 黒旗よ。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より」
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