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2009年5月 8日 (金)

「曇天」までのいくつかの詩<22>月夜とポプラ

「月夜とポプラ」は、
「草稿詩篇」(1933年~1936年)の後半部、
「誘蛾燈詠歌」と「吾子よ吾子」の間あたりにある、
といえば、おおよそ見当がつくでしょうか。

 

1935年(昭和10年)の制作と推定され、
この時期、
というのは、長男文也が生まれ
死亡するまでの間のことですが、
この時期に、
いくつか、
「死を思う」作品が
見られるのです。

 

「大島行葵丸にて」には、
甲板から海に唾(ツバ)を吐いたシーンがあり、
「夜半の嵐」には、
痰を吐いた後、寝床に入って、
松風を聞いているシーンがありますが、

 

これらは、
身体の不調を表す詩句でもありまして、
不調が、ただちに死と結びつくほどの
重篤なものではなかったにせよ
詩人の創作意識は、
死を格好の材料としたがったことが
想像されます。
いかがでしょうか。

 

中原中也の作品に
しばしば見られる
不気味なイメージや
死のイメージを
喚起させる詩の一つに
この「月夜とポプラ」は
数えることができます。

 

この流れは、
1934年制作の「骨」に連なるもので、
そこでは、すでに、
死後のイメージが
ビビッドに実現されていたのですが、
「月夜とポプラ」は、
そのバージョンです。

 

死そのもののイメージ
死後のイメージ
あの世のイメージ
……
死にまつわる歌として
読める作品の一つです。

 

木の下の陰の部分には幽霊がいて、
生まれたばかりで
翼(はね)もか弱いコウモリに似ているのですが
そいつは、キミの命を狙っている

 

キミは、そいつを捕まえて
殺してしまえばよいものを
実は、そいつ、
影だから捕まえられない
しかも、そいつは、たまにしか見えない

 

ぼくは、そいつを、捕まえてやろうと
長い年月、考え苦しんできた
でも、そいつを捕まえられないでいる

 

捕まらないと分かった今晩、
そいつは、
なんとも、かんとも、
ありありと見えるようになった

 

尻切れトンボのような
詩の終わり方は
中也がよく使う手であります
断絶感を読者に与えて
印象を強くするという方法。

 

死というやつを
詩人は
ありありと
見ることができるようになった!

 

 *
 月夜とポプラ

 

木の下かげには幽霊がゐる
その幽霊は、生まれたばかりの
まだ翼(はね)弱い蝙蝠(かうもり)に似て、
而も(しかも)それが君の命を
やがては覘(ねら)はう待構へてゐる
(木の下かげには、かうもりがゐる。)
そのかうもりを君が捕つて
殺してしまへばいいやうなものの
それは、影だ、手にはとられぬ
而も時偶(ときたま)見えるに過ぎない。
僕はそれを捕つてやらうと、
長い歳月考へあぐむだ。
けれどもそれは遂に捕れない、
捕れないと分つた今晩それは、
なんともかんともありありと見えるー

 

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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