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2009年5月24日 (日)

詩人論が生まれる/酒場にて

「酒場にて」は、
(初稿)と(定稿)とがある
興味深い作品です。

初めて作った作品を初稿とし、
それに手を加え完成させたものを
定稿=決定稿としたもので、
詩作の現場を
垣間(かいま)見られるような
愉(たの)しさが味わえます。

意味が
二重三重の幅を与えられ
そうして後、
原初のシンプルな意味に
立ち戻るのがわかったり、

やっぱりここは、
ここを削って
こちらを前面に出したほうがよい、とかの、
試行を重ねた形跡が見えたり、

決定稿より
初稿のほうが
明快で成功している作品であったり、
その逆だったり、

いろいろなことが
見えてきたりします。

詩作過程で
いろいろなことが
行われていることが
わかるのですが、

「酒場にて」は
やはり、
酒場の詩人が、
ただ酒を飲んで騒いでいる人ではないことを
言いたくなるような
詩人論が
生まれる場でもあるようなことが
面白いことです。

酒場にて(初稿)

今晩ああして元気に語り合つてゐる人々も、
実は元気ではないのです。

諸君は僕を「ほがらか」でないといふ。
然(しか)し、そんな定規みたいな「ほがらか」は棄て給へ。

ほんとのほがらかは、
悲しい時に悲しいだけ悲しんでゐられることでこそあれ。

さて、諸君の或(ある)者は僕の書いた物を見ていふ、
「あんな泣き面で書けるものかねえ?」

が、冗談ぢやない、
僕は僕が書くやうに生きてゐたのだ。

 *

 酒場にて(定稿)

今晩あゝして元気に語り合つてゐる人々も、
実は、元気ではないのです。

近代(いま)といふ今は尠(すくな)くとも、
あんな具合な元気さで
ゐられる時代(とき)ではないのです。

ほがらかとは、恐らくは、
悲しい時には悲しいだけ
悲しんでられることでせう?

されば今晩かなしげに、かうして沈んでゐる僕が、
輝き出でる時もある。

さて、輝き出でるや、諸君は云ひます、
「あれでああなのかねぇ、
不思議みたいなもんだねえ」。

が、冗談やない、
僕は僕が輝けるやうに生きてゐた。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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