詩人論が生まれる/酒場にて
「酒場にて」は、
(初稿)と(定稿)とがある
興味深い作品です。
初めて作った作品を初稿とし、
それに手を加え完成させたものを
定稿=決定稿としたもので、
詩作の現場を
垣間(かいま)見られるような
愉(たの)しさが味わえます。
意味が
二重三重の幅を与えられ
そうして後、
原初のシンプルな意味に
立ち戻るのがわかったり、
やっぱりここは、
ここを削って
こちらを前面に出したほうがよい、とかの、
試行を重ねた形跡が見えたり、
決定稿より
初稿のほうが
明快で成功している作品であったり、
その逆だったり、
いろいろなことが
見えてきたりします。
詩作過程で
いろいろなことが
行われていることが
わかるのですが、
「酒場にて」は
やはり、
酒場の詩人が、
ただ酒を飲んで騒いでいる人ではないことを
言いたくなるような
詩人論が
生まれる場でもあるようなことが
面白いことです。
*
酒場にて(初稿)
今晩ああして元気に語り合つてゐる人々も、
実は元気ではないのです。
諸君は僕を「ほがらか」でないといふ。
然(しか)し、そんな定規みたいな「ほがらか」は棄て給へ。
ほんとのほがらかは、
悲しい時に悲しいだけ悲しんでゐられることでこそあれ。
さて、諸君の或(ある)者は僕の書いた物を見ていふ、
「あんな泣き面で書けるものかねえ?」
が、冗談ぢやない、
僕は僕が書くやうに生きてゐたのだ。
*
酒場にて(定稿)
今晩あゝして元気に語り合つてゐる人々も、
実は、元気ではないのです。
近代(いま)といふ今は尠(すくな)くとも、
あんな具合な元気さで
ゐられる時代(とき)ではないのです。
ほがらかとは、恐らくは、
悲しい時には悲しいだけ
悲しんでられることでせう?
されば今晩かなしげに、かうして沈んでゐる僕が、
輝き出でる時もある。
さて、輝き出でるや、諸君は云ひます、
「あれでああなのかねぇ、
不思議みたいなもんだねえ」。
が、冗談やない、
僕は僕が輝けるやうに生きてゐた。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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